ピクサーのアカデミー賞映画『リメンバー・ミー』は移民の物語だった ― 2018-04-15
メキシコの「死者の日」を題材にしたピクサーのアニメ『COCO(邦題は『リメンバー・ミー』)』のスペイン語版を、ようやく見た。ハマった。滂沱の涙。これは「死者の日」の物語の形を取っているけれど、じつは移民の物語だ。本当によくできている。メキシコ人やラテンアメリカの人の文化やメンタリティをよく捉えたうえで、その人たちの多くがどこかで経験するだろう、移民の別離と再会の感情を繊細にすくい上げている。
ネタバレになるので、ストーリーは紹介しない。とにかく主人公の少年ミゲルは、ひょんなことから、死者の日に死者の国へ紛れ込んでしまうことになる。
この死者の国と生者の国をつなぐのが、大きな淵にかかった橋。死者の日には、死者はこの橋を渡って、生者の国に行き、親しかった生者たちとの一夜限りの再会を楽しむ。といっても、生者には死者の姿は見えない。帰ってきているだろうな、と漠然と感じるだけ。
この橋は、アメリカとメキシコの国境を暗示している。なぜなら、死者の国を出るときに、死者たちは「出入国管理局」めいたゲートを通過しなくてはならないから。そのゲートでは、死者は写真を取られ、データと照合され、生者の国で親族たちが確かにその死者を祭壇に祀って戻ってこられる準備がなされている、と確認できると、死者はゲートを通過して橋を渡れる。一方、死者の国に帰ってくるときは、生者の国からのお土産を渡せば済む。つまり、生者の国がアメリカで、死者の国がメキシコということになる。メキシコにいる者たちは、アメリカに親族がいて呼び寄せてくれないと、正規には入国できないのだ。
そして、日本語版のタイトルともなっている主題歌、「リメンバー・ミー」。映画の核となる部分で歌われるのだが、これが英語版の歌詞と、スペイン語版の歌詞では微妙に表現が異なる。
ガエル・ガルシア・ベルナルが吹き替えで歌う、スペイン語版の「Recuérdame(レクエルダメ、「エ」にアクセント)」は以下の通り。
「Recuérdame hoy me tengo que ir, mi amor
Recuérdame
No llores por favor
Te llevo en mi corazón y cerca me tendrás
A solas yo te cantaré
Soñando en regresar
Recuérdame, aunque tenga que emigrar
Recuérdame
Si mi guitarra oyes llorar
Ella con su triste canto te acompañará
Hasta que en mis brazos estés
Recuérdame」
もう、歌詞を見ているだけで号泣しそうになる。
この中に、「Recuérdame, aunque tenga que emigrar」という一節がある。「移民しなければならないとしても、ぼく(パパ)を忘れないで」というような意味。英語版では、「Though I have to travel far」となっていて、移民というニュアンスは弱められている。
スペイン語の歌詞はもう、移民、出稼ぎに命がけで遠い異国に行く別離の歌という側面が濃厚なのだ。これをアメリカにいるメキシコ移民やラテンアメリカの移民たちが見たら、まさに自分たちの物語だと感じるだろうし、その心を歌う歌に感情を揺さぶられずにはいられないだろう。トランプ大統領への批判に満ちた今年のアカデミー賞で、この作品が長編アニメ賞を受賞したのも、作品のできのよさだけではなく、この政治的な側面の優しく根源的な表現によるものだろう。
移民のことに関係が薄い人が見れば、それはそれで深く感銘を受けるドラマとして作られている。でも、移民という出来事に無関係でない人が見れば、まさにそのようなドラマがもう一つ立ち上がって、胸に迫ってくる。物語を幾重にも重ねて、でもシンプルに作るこの奥行きの深さに、私は感嘆した。物語作りの経験の深さと、政治性への感性の豊かさと、それを表現する優雅な手つき。書き手としては、とっても学ぶところも多かった。でもそれ以上に、受け手として、この物語に心の底から感銘を受けた。
なお、私はこの作品を、パソコンでリージョンコードを変えて見ればいいと思い、メキシコのブルーレイディスクで入手したのだが、私のパソコンの再生機はDVDのみでブルーレイ対応ではなかった。がっかりして、ダメもとでテレビにつないであるブルーレイ対応のハードディスク録画機で再生したところ、なんと普通に見られるではないか。ブルーレイディスクについては、日本とメキシコは同じリージョンコード(リージョンA)だったのだ。8つのリージョンに分かれているDVDに対して、ブルーレイは3つのみ、しかもアメリカも日本やメキシコと同じなので、これらは日本の再生機で普通に見られるということのようだ。知らなかった。
岡村淳さん新作『リオ フクシマ2』レビュー ― 2018-04-14
岡村さんによる紹介文は次の通り。
「西暦2012年にリオデジャネイロで開かれた環境をテーマとした地球サミットに並行して、世界中の市民団体が集うピープルズサミットが開催された。
岡村は、日本から福島原発事故の問題を訴えるという団体のサポートをしながら撮影をすることになった。
賛否両論、絶賛と黙殺の錯綜した前作『リオ フクシマ』公開から4年。
福島原発事故とは、なんだったのか?
そのおさらいと同時に、世界各地の人々との福島をめぐる熱いメッセージと議論の応酬をご紹介します。」
岡村さんの集大成だと感じた。岡村さんがこれまで作品で追求してきたテーマが一覧の形になって顔を覗かせている。土地なし農民運動はやはり石丸さんを思い出すし、植物については橋本梧郎先生、ダムについてもこれから完結編が作られるだろう橋本梧郎と水底の滝シリーズ、環境問題についてはアマゾンの水俣病や、作中でも触れられるがユーカリによる砂漠化とそれを分析したインドの物理学者ヴァンダナ・シヴァさんの本を岡村さんが読み込んだ経験、カンデラリア教会前の児童たち虐殺事件の痕跡は『あもーる あもれいら』で描いた子どもの貧困問題、そして高校生とのやりとりは私の大好きな佳作『きみらのゆめに』のような未来そのものの感触。何よりも、コメントを求めたときのブラジルの人々の言葉の生きている感じ。自分で話している、自分の言葉で語っているという感触が濃厚にあふれてくる。
私が印象的だった人物は、やはり高校生たち。『きみらのゆめに』でも印象的だったけれど、言葉が素直に出てくる。素朴とか正直というわけでなく、相手に下手なことを言ったらどうしようという緊張から解放されていて、自然に自分の言葉が出てきやすくなっている。この感じは、忖度社会の日本社会で生きる人たちには、なかなか体現できないだろうと思う。岡村さんが、ご自身の身に合ったスタイルを打ち立てて続けていることにも、この環境が力をくれた部分も大きいのだろうなと、今日、「優れたドキュメンタリーを見る会」の飯田さんへの言葉をお聞きしながら、感じた。自分が生きていることを肯定するのにためらわないというか。
それから、福島へのメッセージを即興で歌い上げた、ブラジル東北部から来たという吟遊詩人。東北部の文化は私にはよくわからないが、セルタネージャとかの世界かな? ヒップホップは現代の吟遊詩人なのか、などと考えたりもした。
そして、インドの科学者ヴァンダナ・シヴァさん。エネルギーがほとばしるような語りだった。
本作の主役と言ってよい、NPOの代表である坂田さんを、岡村さんは最後にリオ近郊の森林公園にお連れする。森に入ったとたん、坂田さんの様子が一変する。魂に火が灯るかのような命の輝きを、放ち始める。あたりの草や葉を見聞する姿は、橋本先生かと見まごうほど。このシーンを用意してカメラに収めてしまう岡村さんの霊力に、何百回目かだけど、また仰天してしまった。この坂田さんの魅力が、さかのぼって坂田さんの言葉すべてを生きたものに戻した。ブラジルの人たちの言葉に拮抗する命を持った言葉なのだったと知ることになる。植物好きの私としては、あのシーンから受けた大きな感銘の正体とは、私自身の循環と再生にほかならないのだなと思った。
岡村さんの撮影はいつでも、その場で一番力の弱いもの、下に置かれてしまうもの、に反応する。カメラはそれを見逃さずに収めてしまう。ひょっとしたら撮影している岡村さんでさえ、あとで見直して気づくようなこともあるかもしれない。
この作品でも、人が行き交うピープルズサミットの会場で、岡村さんのカメラは細かくそれに反応し続ける。時には岡村さんご自身が、下に置かれた存在になることもある。
なので、どんなに立派なことを語っていようが、岡村作品で偶像化される人は誰もいない。その言葉を語る高潔さと、時にはどうしようもない人になってしまう短所とが、常に相対化されながら、断罪されることなく描き出される。それが、語られるコメントを、血の通ったものにしているのだろう。
これを見てしまった私は、ふらふらと国会前のデモに出向いた。そういう気持ちにさせる作品なのだ。のみならず、私はその参加者の一員でありながら、岡村さんのカメラにでもなったかのようなつもりで、そこに来ている人、デモの参加者もそのアンチの集会をしている人も、警備の警官も、ある等距離を持ちながら見続けていた。
『リオ フクシマ2』は、東京では5月3日に新小岩でのメイシネマ映画祭でも上映されるので、お見逃しなく。
なお、岡村作品をほぼ初めて映画館で上映した(少なくとも私が岡村作品の映画館上映を見たのはここが初めて)、毎年この時期恒例の優れたドキュメンタリーを見る会による下高井戸シネマでの上映会は、今年で最後となるとのこと。残念だけれど、この約10年、これが私の大きな楽しみだった(また来年以降も場所を変えての可能性は続くとのことです)。最初に映画館での上映が決まった時の岡村さんの喜びようも印象的で、やはり映画少年だった人にはあの暗闇とスクリーンは何にもかえがたい愉楽をもたらす。毎年、岡村作品がここで見られて幸福でした。主催者の飯田さん、ありがとうございました。
岡村淳さんの傑作『ブラジルの土に生きて』改訂版を見る ― 2017-05-06
ブラジル在住の記録映像作家、岡村淳さんの長編ドキュメンタリー『ブラジルの土に生きて』改訂版を、メイシネマ祭2017で見た。2000年の完成以来、何度見てきただろうか。
改訂版は岡村さんが昨年、すべての会話に日本語字幕をつけるという大作業の他、細かなブラッシュアップを行なったバージョンだ。新作も多々控えているなか、あえてそこまでする何かがあるのだろうと、気になっていた。 そして実際、それだけの労力をかけただけの素晴らしい作品だった。
改訂版は岡村さんが昨年、すべての会話に日本語字幕をつけるという大作業の他、細かなブラッシュアップを行なったバージョンだ。新作も多々控えているなか、あえてそこまでする何かがあるのだろうと、気になっていた。 そして実際、それだけの労力をかけただけの素晴らしい作品だった。
9年前に左耳が難聴になって以来、日本語の音声だけで字幕のない映画を見るのが少し苦痛だったので、まずは字幕があるだけでこんなに映画に集中できるのか、と、そのことが嬉しかった。
さらに、字幕版で衝撃的だったのは、主役の一人である石井延兼さんと娘のノブエさんが交わす会話の内容が、はっきりと表されたことである。この場面は、私の記憶では、日本語とポルトガル語が混ざった会話の内容がややオブラートに包まれたようになっており、あまりにもプライベートだから立ち入ってはいけないのかな、と感じていた。けれど、今回はそれが注釈付きでつまびらかになっていて、やはりその内容に衝撃を受けたのだった。
娘のノブエさんは、若いころに反政府活動をしている最中に行方不明となり、長い間、消息不明だった。その後、チリに亡命、さらにフランスにわたってパートナーと暮らしていることが判明、親子は再会を果たせたのだ。
この作品では、もう再会を果たした後の、時々行われるノブエさんの里帰りが収められているのだが、延兼さんは高齢で体も悪く、次の里帰りでまた会えるのか心もとない中、会話が交わされている。その内容は、この作品を見て確かめてほしい。
かつてこの軍政の暴力の、ごく普通の生活に刻まれたあまりに生々しい爪痕を、私はただ言葉もなく受け止めるだけだった。けれど、共謀罪が来週にも強行採決されようとしている現在、自分に降りかかりかねない出来事として、体のこわばるような感覚とともに見た。
この日の上映会のアフタートークで岡村さんは、「私は祖国(日本)が心配です。ブラジルも大変だが、ブラジルのことはあまり心配していません。ブラジルには、すぐさま反対や異論の声を上げる人たちがたくさんいるからです。でも日本はあまり声が上がらないまま、決定的なできごとが決まっていく。祖国はどこへ行ってしまうのでしょう」というようなことを、おっしゃっていた。この作品を改訂版として改めて披露することには、この気持ちが込められているのだと、私は深く共感した。
それにしても記憶力はいい加減なもので、覚えていないシーンがいつくもあった。今の私だからこそ、見えてくる場面や細部があるのだ。
その一つは、石井家に集まる一族が、実に多様であることだ。日中戦争前に、軍国主義を深める日本を厭うて、ブラジルでの可能性にかけて飛び出した石井延兼さん。ろくに知らない延兼さんに嫁ぐことになってブラジルに渡った妻の敏子さん。その娘でフランスに亡命したノブエさん。スイスで医師をしている、石井さんの孫とそのおつれあいのスイス人。移民した石井家の中から、再移民している人たちがこのように混在しているのだ。それぞれのアイデンティティは、親同士、きょうだい同士でも理解できないほど、異なっている。また、明治生まれの石井夫妻の人生には、敏子さんのあまりに魅力的な生きざまを通じて、ジェンダーの問題まで深く表されている。
このドキュメンタリーにはつまり、世界が凝縮されている。世界で起こりうることが、この一家族を追っただけの記録に、ほとんど起こっている。今回、私が気がついて、心を奪われたのは、この事実だ。全力で生きる人の日常を、静かにじっくりしっかりと全力で見つめれば、世界は自ずとその全貌を現す。私は勝手に、これからを生きるための実に様々なメッセージを、受け取った。
なお、岡村淳作品の上映会は、岡村さんのサイトで告知されていますが、コアな長編を見る機会としては、5月15日(月)高円寺pundit'での上映会があります。
また、運営する私の不手際でしばらく行方不明になっていた岡村さんの文章を集めたサイト、「岡村淳 ブラジルの落書き」も、再開しました。こちらもご一読を。
また、運営する私の不手際でしばらく行方不明になっていた岡村さんの文章を集めたサイト、「岡村淳 ブラジルの落書き」も、再開しました。こちらもご一読を。
2014年4月21日(月) ― 2014-04-21
岡村淳さんの作品を一年ぶりに見に行く。毎春恒例の「優れたドキュメンタリー映画を観る会」。作品は『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』。
1999年に撮影された素材を、昨年になってまとめられたもの。岡村さんご自身は地味で欠点だらけの作品とおっしゃるが、私の心はすっかり持っていかれてしまった。
作品内容の紹介を、岡村さんのサイトから。
「1960年代、日本はエネルギー政策を大きく変換して、国内各地の炭鉱を閉山して、さらに失業した炭鉱労働者を南米に農業移民として送り出しにかかった。
実際に海を渡ったのは数千家族といわれているが、実数は定かではない。
自ら炭坑夫として地底に潜った日本の記録文学の大家・上野英信は1974年、かつての同僚たちを追って広く南米4か国を200日にわたって訪ねて回り、『出ニッポン記』という大作を遺している。
上野の最初の南米の旅から25年、逝去から12年。上野を師と仰ぎ、筑豊の閉山炭住地域で伝道所を開く犬養光博牧師は、上野の足跡と炭鉱離職者の今を訪ねてブラジルを訪問した。上野に私淑して『出ニッポン記』を座右の書とする岡村は犬養牧師の旅の案内と記録を引き受けるが、サンパウロ空港での出会いから間もなくふたりはニセ警官の強盗グループに襲撃されてしまう。
からくも難を逃れた犬養牧師は、ブラジルで上野と親交のあったサンパウロ人文科学所のメンバーらを訪ね、意外な上野像を交換し合う。さらにサンパウロの日本人社会を対象に上野英信についての講演会を行なうが、聴衆からは予想外の反発を浴びることになってしまった。
そしてリオデジャネイロとアマゾンへの調査の旅を前に、サンパウロで北海道からの炭鉱離職者に出会うこととなるが……」
上野英信のことは、岡村さんを通じて初めて知り、その後、私のまわりで何人も上野英信への崇敬の念を表明する作家・研究者に会い、非常に気になっていながら、入ってしまったら迷宮になりそうな気もして、私はまだ読んだことがない。その上野英信モノを岡村さんが作られると知って、絶対に見ておかねばと思ったのだ。
それほど崇拝の言葉しか聞かなかった上野英信について、信者ともいえる犬養牧師は、強烈な相対化をしながら、相対化してもしきれない上野英信の神髄に迫っていく。上野英信が炭鉱に入っていった動機には、若いときの広島での被爆体験があるのではないかというのだ。被爆体験が、自分を卑下する感情となり、エリートの道を歩むに値しないと考えさせ、炭鉱労働者への道を選ばせたのではないか、と。その英信の心根について、犬養牧師は強烈な一語を発する。
作品を見ていただかないとその強烈さはわからないと思うのでここには書かないが、私は本当に衝撃を受けた。これは犬養牧師以外、誰にも口にできない言葉であろう。
これは今の社会を変えうる、決定的なものすごい言葉だと私は思った。極端な言い方をすれば、ある人間がヘイトスピーチにかける怨念のような情熱を、炭鉱労働者に混じって記録を書く情熱へと変えてしまうことは可能なのだ、と言われたような気がした。その言葉こそ、今の社会を機能不全に陥らせている、表面的な二分法の考え方、敵か味方かとレッテルを貼る思考を、突破する力を持っている。今の社会にあるネガティブで虚無的なエネルギーは、すべてポジティブで創造的な力に変わりうるのだ。それらはじつは同じエネルギーなのだ。それを上野英信という偉人に見てしまう犬養牧師に、私は仰天した。上野英信を読んだこともない私が、その偉大さを感じた瞬間だった。
岡村作品のすごいところは、そこで終わらないところだ。そんな犬養牧師をも、映画は相対化してしまう。
犬養牧師のおつれあいがお話をする場面もあるのだが、これがまたすさまじい。犬養牧師がひと言も反論できない、徹底的な批判をニコニコと元気よく展開するのである。この方の魅力は輝かしいばかりで、かつ岡村作品にとてもよく登場するタイプの女性である。私はここでも圧倒されてしまった。岡村作品は、このような根本からの批評者、一番メタレベルに立たされている者の存在を、決して見逃さない。だから汲めど尽きせぬ創造性があるのだ。
映画は、元炭鉱労働者のブラジル移民に実際に犬養牧師が会っていくところで終わり、やがて作られる予定の続編へと続く。
だが、私の衝撃はまだ終わらなかった。上映後のトークで、岡村さんは上野英信の『出ニッポン記』につけられたかもしれないオリジナルのタイトルを口にする。そこに含まれていた「棄国民(きこくみん)」という言葉に、私は目の前の世界が変わるような思いを抱いたのだった。「棄民」という言葉が併せ持ってしまう被害者意識を、主体性へと変えてしまう強靱な言葉。
岡村作品に通底する感覚は、これだと気づいた。居場所が奪われていく者が、それでも主体性を確保し続ける姿が、執拗に描かれているのだと。そこには、自分は捨てられているのではなく、自分のほうが捨てている側なのだという境地に達することで、怒りをネガティブな怨念から創造性のあるエネルギーに変えるという姿勢が共通している。
この映画のおかげで、これからの暗黒時代を生き抜くために、大切な言葉と思考を私は手に入れた。
2013年4月25日(木) ― 2013-04-26
岡村淳さんの新作『リオ フクシマ』を「優れたドキュメンタリーを観る会」 での上映で見に行った。途中から、我を忘れて興奮してしまった。こういう作品を待っていました!
作品の概要については、こちらをご覧ください。
見終わってまず心に浮かんだ言葉は、黒澤明『七人の侍』の名ゼリフ「勝ったのは百姓たちだ」。まさか私のほうが思い出すとは。刊行されたばかりの岡村さんの著書『忘れられない日本人移民』(港の人・刊)に私が寄稿したエッセイ「七人の移民」でも書いたように、岡村さんが好んで使うフレーズなのだ。
恥を忍んで正直に言うと、『リオ フクシマ』がベタに反原発を連呼する作品だったらどうしようと、ほんの少し心配だった。まったく岡村さんに対して失礼極まりない、懸念だった。この十数年、何を見てきたんだ、と恥ずかしくなった。今日の岡村さんご自身のトークにもあったとおり、水俣のことを撮り、ブラジルの土地なし農民運動を追ってきた、それらの作品を見れば、岡村さんがどこにもっとも寄り添おうとし、限りない共感と限りない相対化を同時にその作品に収めてしまうか、わかっていようものなのに。
見方によっては、脱原発に関わっている人の一部の神経を逆撫でするかもしれない。でもこの作品は、きわめて腹の据わった反原発映画だ。活動をしている人へのリスペクトにも満ちているし、運動を揶揄したり軽蔑したりしているのでもない。ただ、リオで行われたあのシンポジムの場で、最も声がかき消されてしまった人の理のある言葉に、岡村さんは深く共振したのだ。それが、フクシマで有機農業をされていた菅野正寿さんだ。ご存じの方も多いかもしれない。
菅野さんが最初に登場する場面で、私の心はえぐられた。菅野さんがおっしゃっていたのは次のようなことだった。
どうして原発が増えてしまったのか。地域の農業や林業(漁業だったか?)をないがしろにして、地方がそれで食えなくなっていったからだ。地域の農業や林業(漁業?)を再生することこそが、脱原発になる。
東京で脱原発のデモや集会に混じっていたりすると、気持ちが沈んでいくことがある。何の活動もしていない私にこのようなことを言う資格はないと思うけれど、ついつい思ってしまう。今度の原発事故で明らかになったのは、地方の荒廃が原発につけ入る隙を与えてしまったという事実だ。原発は政府と電力会社の洗脳によってのみ増えたのではない。この社会の無関心が増やしたのだ。その無関心とは、 地域社会の現状に対する無関心だ。原発をなくすためには、地域社会の経済と尊厳をどうやって復興させるか、とセットにして考えなくてはならない。代替エネルギーを考えるだけでは不十分なのだ。とても難しい問題で、気が遠くなりそうになる。でも、都会に住む人もともにそれを考えなければ、原発は消えない。私自身、このことに対して、どうしていいのかわからないまま、何もしていない。けれど、それを考えないまま脱原発を連呼することも、できないでいる。(もちろん、脱原発活動をしている方で、地域を変えていく活動に取り組まれている方も大勢いると思う。でも都会には、そうでない人も大勢いる。)菅野さんの言葉と行動は、そんな私の心にぐさっと突き刺さった。
私自身は、福島産や北関東産の農産物、東日本の太平洋産の海産物を日常的にできるだけ(やみくもに、ではない)買うようにしている。それが私なりのきわめて微力な脱原発活動なのだ。むろん、その地域の農産物海産物を買うか買わないかは、個々人の判断があっていい。私はどちらも批判されるべきではないと思っているし、どちらも他人に強制すべきではないと思っている。
映画では、菅野さんが、ルシオさんというブラジル人青年の出すブースで、土壌除染をなしうる植物について、やりとりをする場面が映されている。菅野さんが帰ったあと、ルシオさんに岡村さんは話を聞くのだが、ルシオさんの言葉がまるで菅野さんが憑依したかのようなのだ。鳥肌が立った。岡村さんの映画は、こういう奇跡のような魂の交歓の場面を捉えてしまう。
さらに驚くのは、そこにブラジル移民史の初志を重ねて幻視する岡村さんの目である。その日は、日本から初めての移民がブラジルの地を踏んだ日でもあったのだ。
この作品は見る人の自分像が映る鏡のようだと、岡村さんは言う。まさに。私は自分の囚われているものを、思いきり見せつけられた。と同時に、どのような見方をされても、岡村さん自身が惹かれたものを大切にするというこの作品のあり方に、壮絶ささえ感じた。震災・原発事故以降、言葉を発することにためらいが消えない私だが、この作品を撮る岡村さんのようでありたいと心から思ったのだった。そしてこういう作品が存在することで、自分が少し元気になっているのを感じたのだった。
『リオ フクシマ』、東京圏ではメイシネマ祭2013で、5月4日(土)18:20〜にも上映があります。これを逃すと、しばらく上映予定はないそうです。
作品の概要については、こちらをご覧ください。
見終わってまず心に浮かんだ言葉は、黒澤明『七人の侍』の名ゼリフ「勝ったのは百姓たちだ」。まさか私のほうが思い出すとは。刊行されたばかりの岡村さんの著書『忘れられない日本人移民』(港の人・刊)に私が寄稿したエッセイ「七人の移民」でも書いたように、岡村さんが好んで使うフレーズなのだ。
恥を忍んで正直に言うと、『リオ フクシマ』がベタに反原発を連呼する作品だったらどうしようと、ほんの少し心配だった。まったく岡村さんに対して失礼極まりない、懸念だった。この十数年、何を見てきたんだ、と恥ずかしくなった。今日の岡村さんご自身のトークにもあったとおり、水俣のことを撮り、ブラジルの土地なし農民運動を追ってきた、それらの作品を見れば、岡村さんがどこにもっとも寄り添おうとし、限りない共感と限りない相対化を同時にその作品に収めてしまうか、わかっていようものなのに。
見方によっては、脱原発に関わっている人の一部の神経を逆撫でするかもしれない。でもこの作品は、きわめて腹の据わった反原発映画だ。活動をしている人へのリスペクトにも満ちているし、運動を揶揄したり軽蔑したりしているのでもない。ただ、リオで行われたあのシンポジムの場で、最も声がかき消されてしまった人の理のある言葉に、岡村さんは深く共振したのだ。それが、フクシマで有機農業をされていた菅野正寿さんだ。ご存じの方も多いかもしれない。
菅野さんが最初に登場する場面で、私の心はえぐられた。菅野さんがおっしゃっていたのは次のようなことだった。
どうして原発が増えてしまったのか。地域の農業や林業(漁業だったか?)をないがしろにして、地方がそれで食えなくなっていったからだ。地域の農業や林業(漁業?)を再生することこそが、脱原発になる。
東京で脱原発のデモや集会に混じっていたりすると、気持ちが沈んでいくことがある。何の活動もしていない私にこのようなことを言う資格はないと思うけれど、ついつい思ってしまう。今度の原発事故で明らかになったのは、地方の荒廃が原発につけ入る隙を与えてしまったという事実だ。原発は政府と電力会社の洗脳によってのみ増えたのではない。この社会の無関心が増やしたのだ。その無関心とは、 地域社会の現状に対する無関心だ。原発をなくすためには、地域社会の経済と尊厳をどうやって復興させるか、とセットにして考えなくてはならない。代替エネルギーを考えるだけでは不十分なのだ。とても難しい問題で、気が遠くなりそうになる。でも、都会に住む人もともにそれを考えなければ、原発は消えない。私自身、このことに対して、どうしていいのかわからないまま、何もしていない。けれど、それを考えないまま脱原発を連呼することも、できないでいる。(もちろん、脱原発活動をしている方で、地域を変えていく活動に取り組まれている方も大勢いると思う。でも都会には、そうでない人も大勢いる。)菅野さんの言葉と行動は、そんな私の心にぐさっと突き刺さった。
私自身は、福島産や北関東産の農産物、東日本の太平洋産の海産物を日常的にできるだけ(やみくもに、ではない)買うようにしている。それが私なりのきわめて微力な脱原発活動なのだ。むろん、その地域の農産物海産物を買うか買わないかは、個々人の判断があっていい。私はどちらも批判されるべきではないと思っているし、どちらも他人に強制すべきではないと思っている。
映画では、菅野さんが、ルシオさんというブラジル人青年の出すブースで、土壌除染をなしうる植物について、やりとりをする場面が映されている。菅野さんが帰ったあと、ルシオさんに岡村さんは話を聞くのだが、ルシオさんの言葉がまるで菅野さんが憑依したかのようなのだ。鳥肌が立った。岡村さんの映画は、こういう奇跡のような魂の交歓の場面を捉えてしまう。
さらに驚くのは、そこにブラジル移民史の初志を重ねて幻視する岡村さんの目である。その日は、日本から初めての移民がブラジルの地を踏んだ日でもあったのだ。
この作品は見る人の自分像が映る鏡のようだと、岡村さんは言う。まさに。私は自分の囚われているものを、思いきり見せつけられた。と同時に、どのような見方をされても、岡村さん自身が惹かれたものを大切にするというこの作品のあり方に、壮絶ささえ感じた。震災・原発事故以降、言葉を発することにためらいが消えない私だが、この作品を撮る岡村さんのようでありたいと心から思ったのだった。そしてこういう作品が存在することで、自分が少し元気になっているのを感じたのだった。
『リオ フクシマ』、東京圏ではメイシネマ祭2013で、5月4日(土)18:20〜にも上映があります。これを逃すと、しばらく上映予定はないそうです。