しょうもない愚痴2017-03-09

 仕事大渋滞中。原因は、とっくに完成しているはずの小説が未だに書き終えられないという事故のため。終わる予定で仕事をいろいろ入れていたので、身動きできないでいる。正月が終わってから少しずつ渋滞が始まって、今完全にストップしている。自分にとって未知の新しい文学を作ろうとしているところなので、予定どおりいかないのは当然なのだけど。
 私は風船を膨らませて、その中に閉じ篭って書くタイプ。風船の中が小説世界そのもので、私はそこにいて書いている。宅配便が来たり電話が来たり、メールで事務的な返信をしたり、食事の用意をしたり、洗濯物を取り込んだりといったことは、風船を針で突くような出来事で、風船はすぐに割れてしまう。また一から風船を膨らませるのに、時間と集中力を必要とするので、昼間の執筆はとても効率が悪い。いきおい、夜中にずれていく。すると夜型になる。
 喫茶店や楽屋で書けるとか、家庭内の喧嘩から逃れて風呂場で書いたナボコフ(だったけかな?)だとか、そんなことができればもっといいのにと思うが、現状ではこのスタイルでないと満足のできるレベルに仕上がらない。例えば、自分がメキシコに亡命して、経済的にももっと逼迫していて、環境なんて選べずに書くしかないという状態なら、そんな中でも書けるようになるんじゃないか、とも思い、そんな自分のつもりで書こうともするのだけと、シミュレーション程度では自分が騙されない。
 運動不足になるし、ストレスで際限なく間食してしまうし、早く終えたい。

2016年4月26日(火)2016-04-27

 先日、下北沢の書店B&Bで、英語文学の翻訳家にして、キューバの宗教サンテリアの司祭である越川芳明さんと対談した。対談といっても、メインはババラオ(サンテリアの司祭のこと)・コシカワが、私に占い(「イファ」という)を行うというもの。私は占われに行ったのだ。
 もっとも、占いは2〜3時間が必要なので、越川さんはすでに占いの結果を持ってきていた。本人が遠くにいる場合などに、不在でも占う方法があるのだそうだ。
 結果は吉でした! 「困難や障害の克服」がオグンという神様のサポートにより、「確実、安全に」実現すると。しかも、捧げものは不要と来た。これはとてもツイているのである。
 いろいろと細かな注意事項や予告もあって、中にはドキッとするほど思い当たるものもあるけれど、まったく思い当たらない予告のほうがより怖い。
 あとは、以下の3点を実行すれば、この幸運を逃さずに確保できるという。
1、自分の頭を川の水で洗う。
2、自分の体を牛乳で洗う。
3、エグレアへの捧げ物として、3日続けてロウソク一本を灯し、祈る。
 で、今日、やり遂げましたよ!
 まず、対談から帰ってすぐ、お湯に少しミルクを垂らして、体をすすいだ。なんか、お肌がスベスベになったような。
 翌日からロウソクを灯す。5分ぐらいでいいというので、そのぐらい。お祈りの仕方はわからないので、ちょっと和風な仕草で適当に、でも心は真面目に。
 ちょっと難題だった川の水は、まず、自宅近くの神社に湧き水の池があるので、そこから小さな川が流れていたはずだと思い、行ってみた。が、川はわからず、池には手を触れられないようになっている。
 オグンの神様に頼るのに、神社の水というのも何だなと思い直し、断念。
 翌日、つまり今日、今度はお寺の裏の水遊び場に行ってみる。地下水を吸い上げて、子どもなんかが遊べる流れができている。今日は暑いぐらいだったので、幼児たちがザブザブと足を洗っている。その下流で、まだ花粉症の治らないマスク姿の50歳男性が、ペットボトルに水を汲んでいる! 何、あのおじさん、子どもが浸かった水を集めてる、変態じゃない?
 平日昼間の中年男性は、肩身が狭いのである。といって、人の多い休日にしていたらなおさら怪しまれる。
 結局、これは人工の流れで、川ではないと判断し、また断念。そそくさと現場を離れる犯人。
 暗渠になっている近くの緑道に、ビオトープにして流れがむき出しになっている部分があることを思い出し、今度はそちらに。川には入れないようになっていたが、人気もないし、侵入して今度こそペットボトルに汲んだ。少し下流で、その川の掃除をしていて、結構な臭いが漂っている。えー、この臭う水を頭にかけるの? とちょっとひるんだが、オグンへの信仰で乗り切る。帰宅してペットボトルの水の臭いをかぐが、無臭で安堵。風呂に入りがてら、まずその水で髪を濡らして、自己流のお祈りを唱えて、お湯で頭を洗う。
 さあ、これで困難や障害が確実安全に克服されるぞ! でも今の私の困難や障害って、何だろう? まあいいや。何でもかかって来い!
……実際は障害や困難は多々あるので、ほんと、この結果にすがってます。まずは腰が治って早くフットサルをしたい。もう半年以上、できずにいて、最近は自分がフットサルしている夢ばかり見て、切ないのです

ババラオ・コシカワの、キューバをめぐるエッセイ集。サンテリアの話盛りだくさん。

2012年5月5日(土)2012-05-05

 韓国は火と鉄の国だと、今日も思う。
 おなじみ、農楽のパフォーマンスを、高校生ぐらいの若者が広場で披露しているのを見ながら、ケンガリ、チンの音に聞き惚れる。チョッカーラ、スッカーラ、鉄器、鉄の文化の音。特にチンの音には魔力がある。
 韓国では仏様の誕生日のお祝いが、今月、盛大に行われるのだそうだ。このため、街じゅうに色とりどりのぼんぼりがぶら下がっている。先日、古刹を訪ねたときも、そのぼんぼりの美しさに圧倒された。ぼんぼりには、子どもの仏陀が右手の人差し指を天に向けているキャラクターっぽい姿が描かれている。再来週の夜にはこのぼんぼりが灯され、ソウルの大通りを、ねぶた祭りみたいにお釈迦様や象やその他の巨大な張り子の灯籠が盛大な行列を繰り広げ、農楽の者たちが踊り歩き、僧侶や子どもたちが提灯を掲げて行進をするという。楽しみである。
 ともかく提灯が多い。キャンドルデモもそうだが、韓国の人たちは火をスピリチュアルに使うことに長けている。火で魂を表す術に通じている。
 その中心となる曹溪寺(チョゲサ)に、今日の昼ごろ行ってみたところ、法要というのか、が行われていた。寺の中を埋め尽くさんばかりに集まった年齢の高い女性たち(男はほとんどいない)が、僧侶の読むのに合わせて経を唱える。やがて僧侶たちは麦わら帽をかぶって外に出てきて、スピーカーで流れる「南無阿弥陀仏」の読経とともに、ゆっくりと境内を歩き始める。その後をついて、アジュモニたちが長い行列を作る。蛇のような行列は、色とりどりの提灯がびっしりと空を埋めている境内でところどころとぐろを巻き、またほぐれて蛇行し、と、複雑な軌跡を描いてひたすら境内を練り歩く。そして最後には待ち受けた僧侶から、茶色い玉を一つ(数珠?)受け取って、行進を終える。
 興味深かったのは、そのお経の読み方である。もちろん、日本の読み方とは違う。なんと説明してよいのか、これがやはり韓国風の節回しがついた、日本よりも歌うような読み方なのである。その国の音楽性は、教典を読むときの節回しに表れる。昨年、トルコを旅したときは、コーランの朗唱にそれを感じた。祈りの時間になると、様々な素人がジャーミーに集って順に読み始め、読む者の個性がさらにそこにアレンジされるのが面白い。
 読経のリズムを刻むのも、木魚だけでなく、ケンガリのような金属のものを鳴らす。ここでも鉄の音。信者の祈り方でも、五体投地をしている人たちが結構多いのには驚いた。
 とにかく圧倒されてしまった。
 ちなみに、今日は韓国でもこどもの日。

2012年5月4日(金)2012-05-04

 ソウルに来ていてしばらくここで暮らすのだが、着いてから今日までは真夏だった。30度近くあって、日差しも強くて、春先に咲く花と初夏に咲く花が一緒に咲いている。そのためか、花粉症が一気に悪化した。黄砂のせいもあるかもしれない。でもマスクをしている人はいないので、日本でのように私もマスクはせず、すると鼻をかみ続けながらも開放的な気分になるから不思議だ。マスクは気持ちを閉鎖的にする。マスクと過剰な日除け対策(女性の場合)は日本人の特徴で、世界のどこに行っても、その格好で日本人だとわかる。
 ソウルで私が韓国人と間違えられようがないのは、髪型だ。今、ソウルでは特に若者男子を中心に、髪の毛を後ろから前に流すスタイルがはやっていて、ヘルメットをかぶっているような姿をしている。私のように短髪を乱れ気味に立てている人は見たことがない。若者たちはさらに、大きな黒縁の眼鏡をかけていて、集団でいると見分けがつかないほどだ。ヒゲは生やさず、ズボンも腰でははかない。
 Wi-Fiの普及はすごい。地下鉄の中でも車両内にWi-Fiのアンテナが設置されているから、皆、スマートフォンをいじっている。日本と比べると、本を読んでいる人はものすごく少ない。文庫本みたいなサイズの本がないのかもしれない。カフェで注文すると、円盤のような電子レシーバーを渡され、席で待つ。できあがったらそのレシーバーがバイブするので、取りに行く。
 仁寺洞の入り口と地下鉄弘大入口駅の出口では、ビッグイシューを売っているおじさんがいた。読めないのだけれど私は一冊買った。3000ウォンで、1600ウォンがおじさんの収入になる。
 昨日は古刹を尋ね、境内で見慣れないかわいらしい花が咲いていたので写真を撮った。花は見慣れないものの、葉の形に見覚えがある。しばらく見つめていて、はっと思い出した。トリカブトだ。青だけでなく紫、白。おそらく園芸用に品種改良されたものだろう。日本で売っている品種とはまた花の形が違った。
 そんなわけで韓国語を勉強中。意味はわからなくても文字が読めるようになってきたのが嬉しくて、片っ端から声に出して読んでみている。一文字読むのに一秒ぐらいかかるが。