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    <title>星野智幸　言ってしまえばよかったのに日記</title>
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    <pubDate>Sat, 05 May 2012 23:31:56 +0900</pubDate>
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      <title>2012年5月5日（土）</title>
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      <pubDate>Sat, 05 May 2012 23:12:59 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　韓国は火と鉄の国だと、今日も思う。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　おなじみ、農楽のパフォーマンスを、高校生ぐらいの若者が広場で披露しているのを見ながら、ケンガリ、チンの音に聞き惚れる。チョッカーラ、スッカーラ、鉄器、鉄の文化の音。特にチンの音には魔力がある。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　韓国では仏様の誕生日のお祝いが、今月、盛大に行われるのだそうだ。このため、街じゅうに色とりどりのぼんぼりがぶら下がっている。先日、古刹を訪ねたときも、そのぼんぼりの美しさに圧倒された。ぼんぼりには、子どもの仏陀が右手の人差し指を天に向けているキャラクターっぽい姿が描かれている。再来週の夜にはこのぼんぼりが灯され、ソウルの大通りを、ねぶた祭りみたいにお釈迦様や象やその他の巨大な張り子の灯籠が盛大な行列を繰り広げ、農楽の者たちが踊り歩き、僧侶や子どもたちが提灯を掲げて行進をするという。楽しみである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　ともかく提灯が多い。キャンドルデモもそうだが、韓国の人たちは火をスピリチュアルに使うことに長けている。火で魂を表す術に通じている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　その中心となる曹溪寺（チョゲサ）に、今日の昼ごろ行ってみたところ、法要というのか、が行われていた。寺の中を埋め尽くさんばかりに集まった年齢の高い女性たち（男はほとんどいない）が、僧侶の読むのに合わせて経を唱える。やがて僧侶たちは麦わら帽をかぶって外に出てきて、スピーカーで流れる「南無阿弥陀仏」の読経とともに、ゆっくりと境内を歩き始める。その後をついて、アジュモニたちが長い行列を作る。蛇のような行列は、色とりどりの提灯がびっしりと空を埋めている境内でところどころとぐろを巻き、またほぐれて蛇行し、と、複雑な軌跡を描いてひたすら境内を練り歩く。そして最後には待ち受けた僧侶から、茶色い玉を一つ（数珠？）受け取って、行進を終える。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　興味深かったのは、そのお経の読み方である。もちろん、日本の読み方とは違う。なんと説明してよいのか、これがやはり韓国風の節回しがついた、日本よりも歌うような読み方なのである。その国の音楽性は、教典を読むときの節回しに表れる。昨年、トルコを旅したときは、コーランの朗唱にそれを感じた。祈りの時間になると、様々な素人がジャーミーに集って順に読み始め、読む者の個性がさらにそこにアレンジされるのが面白い。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　読経のリズムを刻むのも、木魚だけでなく、ケンガリのような金属のものを鳴らす。ここでも鉄の音。信者の祈り方でも、五体投地をしている人たちが結構多いのには驚いた。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　とにかく圧倒されてしまった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　ちなみに、今日は韓国でもこどもの日。&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <dc:subject>身辺雑記</dc:subject>
      <dc:subject>韓国生活</dc:subject>
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      <title>2012年5月5日（土）</title>
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      <pubDate>Sat, 05 May 2012 10:07:33 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　先日、芸能メディア向けに記者発表されたとおり、『俺俺』が映画化されます。三木聡監督、亀梨和也&#13;
主演、公開は来年の予定。記者発表に当たって、私が出したコメントは以下の通り。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;「『俺俺』は「俺」が増殖する物語である。今も増殖中なので、とても私の小説だけでは収まりきらない。そのあふれた「俺」らが、今度は映画で描かれるという。どんな滑稽な悪夢が展開されるのか。あなたも私もすでに『俺俺』世界の住人なのだ、もう逃れられない。」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;『俺俺』刊行時に、ツイッター上でそれぞれの読者のそれぞれの俺俺を増殖させて書いてもらうという企画を試みましたが、それが今度はプロの手によって映画上でなされるわけです。&lt;/DIV&gt;
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      <dc:subject>映画</dc:subject>
      <dc:subject>お知らせ</dc:subject>
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      <title>2012年5月4日（金）</title>
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      <pubDate>Fri, 04 May 2012 18:29:31 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　ソウルに来ていてしばらくここで暮らすのだが、着いてから今日までは真夏だった。30度近くあって、日差しも強くて、春先に咲く花と初夏に咲く花が一緒に咲いている。そのためか、花粉症が一気に悪化した。黄砂のせいもあるかもしれない。でもマスクをしている人はいないので、日本でのように私もマスクはせず、すると鼻をかみ続けながらも開放的な気分になるから不思議だ。マスクは気持ちを閉鎖的にする。マスクと過剰な日除け対策（女性の場合）は日本人の特徴で、世界のどこに行っても、その格好で日本人だとわかる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　ソウルで私が韓国人と間違えられようがないのは、髪型だ。今、ソウルでは特に若者男子を中心に、髪の毛を後ろから前に流すスタイルがはやっていて、ヘルメットをかぶっているような姿をしている。私のように短髪を乱れ気味に立てている人は見たことがない。若者たちはさらに、大きな黒縁の眼鏡をかけていて、集団でいると見分けがつかないほどだ。ヒゲは生やさず、ズボンも腰でははかない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　Wi-Fiの普及はすごい。地下鉄の中でも車両内にWi-Fiのアンテナが設置されているから、皆、スマートフォンをいじっている。日本と比べると、本を読んでいる人はものすごく少ない。文庫本みたいなサイズの本がないのかもしれない。カフェで注文すると、円盤のような電子レシーバーを渡され、席で待つ。できあがったらそのレシーバーがバイブするので、取りに行く。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　仁寺洞の入り口と地下鉄弘大入口駅の出口では、ビッグイシューを売っているおじさんがいた。読めないのだけれど私は一冊買った。3000ウォンで、1600ウォンがおじさんの収入になる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　昨日は古刹を尋ね、境内で見慣れないかわいらしい花が咲いていたので写真を撮った。花は見慣れないものの、葉の形に見覚えがある。しばらく見つめていて、はっと思い出した。トリカブトだ。青だけでなく紫、白。おそらく園芸用に品種改良されたものだろう。日本で売っている品種とはまた花の形が違った。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　そんなわけで韓国語を勉強中。意味はわからなくても文字が読めるようになってきたのが嬉しくて、片っ端から声に出して読んでみている。一文字読むのに一秒ぐらいかかるが。&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <dc:subject>身辺雑記</dc:subject>
      <dc:subject>韓国生活</dc:subject>
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      <title>2012年4月29日（日）</title>
      <link>http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/04/29/6428452</link>
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      <pubDate>Sun, 29 Apr 2012 09:35:48 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-04-29T09:47:02+09:00</dcterms:modified>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　起きている出来事に物語はない。ただ起きていることがあるだけだ。物語を付けるのは人間である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　人間は、出来事に物語を付けずに受け取ることはできない。その物語は、個々人の内面とブレンドされて、幾通りも作られていく。人の数だけ、物語は存在する。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　表現をする者は、物語を排して、できるだけ、起きていることをナマで捉え、そのまま提示したいとあがく。それが不可能であることは承知のうえで、全身全霊であがく。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;A target="_blank" href="http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000050/20090602005578.cfm"&gt;『あもーる　あもれいら　第３部　サマークリスマスのかげで』&lt;/A&gt;は、起きていることをギリギリまでナマに近い形で捉えきった、奇跡のような作品である。舞台は、問題を抱えている親や家庭の子どもたちが預けられる保育園。困難な境遇であるほど、色づけされる物語は濃くなり、より悲劇の定型に近づいていく。だから、なおさら、ナマの形で提示するのは難しい。にもかかわらず、岡村淳さんは、ナマに限りなく近づいた。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　ビデオカメラの場合、加工・編集せずに提示すればナマに近づけるわけではない。むしろ、その作業がないと、ナマから遠ざかるばかりだ。いかにして、忍び寄る物語の影から逃れるか。プロとして、半世紀の人生を生きてきた者として、知恵と経験のすべてが投入される。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　この作品を見終わった直後の私の感想は、何も言葉にならなかった。ただただ、ナマの現実がそこで生起することに圧倒され、飲み込まれ、私は無力な存在だった。それについて考えたりコメントしたりする言葉など、出てこなかった。言葉で解釈など、したくなかった。でも脳内は嵐だった。泣くとか喚くとか笑うとかいった形でしか、その嵐は表せないと感じた。これは岡村さんの作品史上でも、私の見たドキュメンタリー映画の中でも、最高の作品だということは間違いなかった。2度目の上映を、それから一季節後に見て、ようやく言葉が動き出した。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　あもれいら保育園の１年を追った『あもーる　あもれいら』シリーズ全３作は、曼荼羅である。ここには世界のすべてが描かれている。これが曼荼羅として完成できたのは、第3部によるところが大きい。なぜなら、1部と2部の世界を究極にまで相対化し、ほとんど虚無の淵すれすれにまで近づきながら、撮影している岡村さん自身がこの世界の住人として、相対化されることを拒んでいるからだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　冒頭から、私は打ちのめされ、興奮した。蟻たちがクローズアップで撮影される。岡村さんにとって蟻の撮影は、ドキュメンタリー作家としての原点の一つである。岡村さんのこの世に対するまなざしが、ここにすべて現れている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　カメラはその蟻の背景として、こちらに駆け寄ってくる子ども二人を捉えている。その子どもたちが、蟻を撮している岡村さんに話しかける声が、間近に聞こえてくる。「何撮ってるの？」「蟻だよ」「蟻は刺すだろ？」「毒を刺すのもいれば噛むのいるね」「じゃあ、おじさんの映画には蟻しか出てこないんだ？」云々。この「蟻」を、「子ども」に置き換えても「人間」に置き換えても、意味は同じだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　次第にカメラは引き、子どもたちを撮す。そのうち一人は、&lt;A target="_blank" href="http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20080211004181.cfm"&gt;第一部「イニシーエション」&lt;/A&gt;で活躍したカイオ君だ。お兄ちゃんに連れられて新しく入園してきたものの、毎日激しく泣いて帰りたがったカイオだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　同じ保育園の一年を追っているのだから、あたりまえだが、第3部でも、第1部第2部で登場した子たちが大勢現れる。その子たちの変化や身の上に降りかかる出来事が連続して描かれる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　第3部は特に、やりきれない出来事がいくつも相次ぐ。その大きなものは、まず、この保育園育ちで今はもう15歳になったマリ＝クレアの身の上だ。第2部（だったかな？）で、妊娠中の娘として登場するマリ＝クレアは、無事に男の子ペドロを生み、さっそくアモレイラ保育園に預けに来る。ところが、ほどなくして、マリ＝クレアは子どもを預けに来なくなる。心配した堂園シスターと岡村さんが、マリ＝クレアを探して回る。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　ようやく探し出し、堂園シスターが事情を聞く。その内容を、岡村さんは詳しく描かない。にもかかわらず、堂園シスターの姿から、マリ＝クレアの置かれている環境の想像を絶する過酷さが、十分すぎるほど伝わってくる。言葉にすればセンセーショナルかもしれない。だが、物語が欲望するそのような「派手さ」ではなく、マリ＝クレアの孤独に閉じ籠もった心、そこに寄り添おうとする堂園シスター、マリ＝クレアを追いつめている環境の質感、そういったものを大事に丁寧に岡村さんの映画は表そうとする。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　私はこの場面で号泣してしまった。この後で登場する、堂園シスターが再びマリ＝クレアを訪ねるときの、マリ＝クレアの喜びと信頼があふれ出てくる笑顔の場面でも、心揺さぶられてしまう。物語をつけているのは、見ている私のほうなのだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　次の大きな事件は、一番年少2歳児のマルキーニョ君の身の上に起こる出来事だ。岡村さんはこの事件も、多くを語らない。そっと、視界の端で、しかし心の中心で、事件を受けとめる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　最後はケテリン。第1部を見た人は覚えているだろう、あの最後の場面で堂園シスターを怒らせ、放置され、ホールで一人意地を張りながら、凍りつくようなひと言を漏らす、女の子である。おそらく、あもれいらシリーズの中で、最も困難を抱えた問題児だろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　第3部でもケテリンのこまっしゃくれぶりは、初っぱなの「パンティ」のエピソードから炸裂しているが、映画後半ではふざけ回っているのがエスカレートし止まらなくなり、先生たちを怒らせ、放置される。そこで繰り出されるセリフ、仕草が、家庭の姿をそのまま伝えてきて、絶句する。飲み屋を営む若い母親は、家で売春もし、子どもに対しては半ばネグレクトだという。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　事件の翌日に堂園シスターがケテリンの家を訪ねる。そのときにケテリンの見せる表情は、疲れた中年女性のようだ。ケテリンは４歳だか5歳だかにして、すでに人生に疲れている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　同じような表情を一瞬見せる子が、アリーニだ。園が終わっても、母親がなかなか迎えに来ず、雨の中一人待つアリーニの苛立った顔には、やはり人生に疲れた中年のような表情が浮かぶ。普段は目立ちたがりで天然のアリーニが、分別くさい顔で、撮影している岡村さんに、「おじさん、濡れるから入らないと」と語りかける場面では、見ている私が語りかけられ、自分がアリーニよりずっと幼い子どものような気がした。このアリーニは、&lt;A target="_blank" href="http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20090121005171.cfm"&gt;第2部「勝つ子負ける子」&lt;/A&gt;で、負けて大泣きする子として、私の記憶に深く刻まれている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　こうして連なる大きな出来事はどれもあまりに重いものばかりなのだが、それをつないでいく日常の子どもたちの姿は、爆発的にエネルギッシュで、ラテンの陽気に満ちていて、爆笑の連続である。見ているほうも、笑い続け、ときに号泣し、ときに重さに打ちのめされ、感情のポテンシャルをすべて前回にすることを求められる。それが心地よい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　私の大好きな場面は、卒園していく年長の子どもたち一人ひとりに、「将来なりたいもの」を岡村さんが尋ねていくところである。同じような場面が、岡村さんの短篇&lt;A target="_blank" href="http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20110618007374.cfm"&gt;「きみらのゆめに」&lt;/A&gt;でも登場する。そちらは、15歳の子たちに将来を尋ねていくのだが、あもれいらと双璧をなす、歓びに満ちたシーンだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　そこで子どもたちは、思い思いの言葉を口にする。ところが、一人が自分の希望を訂正し、他の子の言った希望を真似して、自分もそれになると言ったとたん、「俺も」「私も」といっせいに大勢がその希望に鞍替えし始めるのである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　同じような現象が、飴をもらう場面でも見られる。火付け役はあのケテリン。もらった飴を、いちご味に替えてもらい、それを自慢して、他の子に「いちごに替えてもらえば」と言ったとたん、ほぼ全員が「いちごに替えて」と殺到する。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　抱腹絶倒の場面なのだが、ここでは二つのことがわかる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　一つは子どもはいかに環境の影響を受けやすく、周囲を真似することでいろいろなことを学んで成長していくのか、ということである。その白紙さがまばゆいほどだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　もう一つは、誰かが周りに同調し始め、その量が臨界を越えると、同調の雪崩現象が起こる、その仕組みだ。この現象は、今私たちが生きている日本の社会で非常によく見られる。つまり、環境の影響を受けやすく、周りを真似してしまうのは、子どもだけではないということだ。子どもがやっていると可笑しいが、大人がするとおぞましい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　子どもは影響を受け、真似ていることを、あけすけに見せてしまう。だから、子どもの背後に、大人の社会が濃厚に浮かび上がってくる。「あもれいら」シリーズは、子どもだけを描きながら、今の大人の社会を、直接描く以上に明確に表す。だから曼荼羅なのだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　この作品は、岡村さんの付ける字幕も素晴らしい。子どものたちのポルトガル語を、そのエッセンスを損なわない日本語に置き換え、私たちの喜怒哀楽を引き出してくれる。岡村さんの「言語力」にも魅せられるドキュメンタリーだ。&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
      <dc:subject>映画</dc:subject>
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      <title>2011〜12年の仕事（4月6日更新）</title>
      <link>http://hoshinot.asablo.jp/blog/2011/04/25/5825361</link>
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      <pubDate>Fri, 06 Apr 2012 13:33:14 +0900</pubDate>
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      <description>■長篇小説『夜は終わらない』連載中（群像2011年9月号〜）&lt;br&gt;&#13;
■サンケイスポーツ　連載サッカーコラム「考える脚」毎週水曜日掲載（2011年10月19日〜）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ「憎悪と復讐の政治学」（北海道新聞2012年3月30日）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ「震災を語る言葉を待つ」（岩波書店刊『3.11を心に刻んで』2012.3）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ　週刊図書館「二人のウェルズ」（週刊朝日20&#13;
12年2月3日）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ&lt;a href="http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/03/01/6355334"&gt;「『指導者』を求める空気」&lt;/a&gt;（北海道新聞2012年1月13日朝刊）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ&lt;a href="http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/03/11/6372021"&gt;「change of role」&lt;/a&gt;（すばる2012年1月号）&lt;br&gt;&#13;
■選評　第33回野間文芸新人賞（群像2012年1月号）&lt;br&gt;&#13;
■対談・中島岳志氏「可能性の文学」（中島岳志対談集『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』金曜日刊2011.12）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ&lt;a href="http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/03/05/6361853"&gt;「居場所を奪い合う社会〜オウム裁判終結」&lt;/a&gt;（共同通信配信11月）&lt;br&gt;&#13;
■選評　第2回路上文学賞（ビッグイシュー179号）&lt;br&gt;&#13;
■短篇小説「人間バンク」（『人はお金をつかわずにはいられない』日本経済新聞出版社刊2011.10）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ&lt;a href="http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/03/07/6365044"&gt;「社会における表現」&lt;/a&gt;（北海道新聞2011年10月14日朝刊）&lt;br&gt;&#13;
■選評　第35回すばる文学賞（すばる2012年11月号）&lt;br&gt;&#13;
■選評　第43回新潮新人賞（新潮2012年11月号）&lt;br&gt;&#13;
■講演録「ボルヘスの可能性と不可能性」（野谷文昭編『日本の作家が語る　ボルヘスとわたし』岩波書店刊2011.9）&lt;br&gt;&#13;
■インタビュー　新幸福論（毎日新聞　2011年9月21日夕刊）&lt;br&gt;&#13;
■著者インタビュー　『俺俺』（一個人2011年10月号）&lt;br&gt;&#13;
■掌編小説&lt;a href="http://blog.fukkoshoten.com/?cid=33308"&gt;「お早う」&lt;/a&gt;（Words&amp;Bonds Vol.18）&lt;br&gt;&#13;
■パブロ・シーグレル・コンサート評「人間は人間を超える。」（ラティーナ2011年8月号）&lt;br&gt;&#13;
■解説「和解のために、降りる」　朴裕河『和解のために』（平凡社ライブラリー）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ「江田というユートピア」（神奈川近代文学館機関誌113号）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ&lt;a href="http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/03/13/6374011"&gt;「無関心という隠蔽」&lt;/a&gt;（北海道新聞2011年7月9日夕刊）&lt;br&gt;&#13;
■映画評『BIUTIFUL ビューティフル』（クロワッサン2011年7/10号）&lt;br&gt;&#13;
■対談・岡田利規氏「現実を変容させるフィクション」（新潮2011年7月号）&lt;br&gt;&#13;
■大江賞記念対談「危機に際して、異質な個人が声を合わせる」（群像2011年7月号）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ「3.11を心に刻んで」（岩波書店web）&lt;br&gt;&#13;
■大江賞受賞インタビュー（東京新聞2011年5月11日夕刊）&lt;br&gt;&#13;
■&lt;a href="http://book.asahi.com/clip/TKY201105100330.html"&gt;大江賞受賞インタビュー&lt;/a&gt;（朝日新聞2011年5月10日夕刊）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ「言葉を書く仕事なのに、何と言っていいのかわからない」—震災日記（SWITCH2011年5月号）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ&lt;a href="http://hoshinot.asablo.jp/blog/2011/04/19/5814544"&gt;「東電事故　原発列島化　責任直視を」&lt;/a&gt;（北海道新聞2011年4月2日夕刊）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ「夜景の中の毛細血管」（かまくら春秋2011年4月号）&lt;br&gt;&#13;
■短篇小説「人間バンク」（日経新聞電子版2月連載）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ「八百長は他人ごとか？」（東京新聞2011年2月22日夕刊）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ「大規模デモ　無縁の日本」（北海道新聞2011年2月19日夕刊）&lt;br&gt;&#13;
■エッセイ「安宇植さんの熱意と日中韓の文学交流」（すばる2011年3月号）&lt;br&gt;&#13;
■書評　宮内勝典『魔王の愛』（新潮2011年1月号）&lt;br&gt;&#13;
■短篇小説「何が俺をそうさせたか」（文學界2011年1月号）&lt;br&gt;
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      <dc:subject>お知らせ</dc:subject>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
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      <title>2012年3月13日</title>
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      <pubDate>Tue, 13 Mar 2012 18:06:37 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;SPAN class="asahi_editor_styling" style="font-weight: bold; "&gt;　　　　　　無関心という隠蔽&lt;BR&gt;&lt;/SPAN&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　震災以降、私はニュースのダイエットを行っている。毎日見ていたテレビのニュースは見なくなり、新聞と信頼する人のツイッターを少々のぞくぐらいになった。自分の精神衛生を保つためだ。ニュースに接すれば接するほど、現実の実態はわからなくなり、疑心暗鬼は膨れあがり、不安ではち切れそうになるからだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　疑心暗鬼の源は、震災以後、特に原発関連で何度も目にしている「隠蔽」という言葉にあるだろう。電力会社や政府が情報を隠蔽している、という気分だ。この結果、ちまたには、権力のある者たちが自分たちを騙そうとしている、という被害者意識が蓄積しつつある。そのことが私には不安である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　だが、隠蔽はそれだけではない。別種の見えない隠蔽も進行している。それは無関心という隠蔽である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　六月二十二日のツイッターで、私は次のようなつぶやきを読み、大変暗い気持ちになった。北九州で長年ホームレス支援をされている、牧師の奥田知志さんの言葉である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;「被災者支援を東北現地でも、また地元北九州でも微力ながらやっている。だが、ある方からこんなことを言われ大変落ち込んでいる。『被災者支援にホームレス支援の人が出てくるのは被災者に対して失礼だ。ホームレス支援の肩書を下すべきだ』」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　震災は、それまで「普通に」暮らしてきた人たちを、突然、生活が困難な立場に突き落とす。今回はその数と地域がとてつもなく多い。普通に生活していると思っている人をマジョリティと呼ぶとすれば、マジョリティの側からいきなりマイノリティに転落すると言える。転落は自分のせいではないから、自分をマイノリティだとは考えたくないし、一時的に苦境に陥っているだけでやがては普通の生活に復帰するのだから、特殊な目で見るな、という思いがあるだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　だが、震災前にホームレス状態に陥った人たちの大半も、まったく同じなのである。雇用環境のいちじるしい悪化や、今の社会の「空気を読めないものは切り捨てる」という体質などによって、自分が原因ではないにもかかわらず困窮し、路上に出てしまう。そのときには、とりあえず今をしのぐためだ、という意識でいる。だから、すぐに社会に復帰するつもりでいるし、自分をホームレスだとは思っていない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　誰も、「あの人はホームレスだ」という目で見られたくなどない。それは、性格的に自分の責任でそんな立場になってしまう特殊な人だ、という蔑みのニュアンスがあるからだ。だが、誰もそのような特殊な人間だから困窮したのではない。被災者と同様に。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　奥田さんを始め、私の友人でもＮＰＯ法人「自立生活サポートセンター・もやい」の人たちなど、被災者の支援活動に当たっている方々の中には、貧困やホームレス問題の活動を日常としている人がとても多い。かれらの持っている日ごろの支援のノウハウが、そのまま活かせるからだ。それは、避難生活とは、ホームレス状況にほかならないことを意味する。被災のようなきっかけで貧困やホームレスに陥っていく例を、支援活動にたずさわっている人たちはいやというほど見聞しているから、何とかそれを食い止めたい一心で、被災地に入っているのである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　だが、先ほど述べたような心理で、震災前からのホームレスと、被災者を切り分けようとする。そこに線引きをすることで得をするのは、貧困対策の予算を削りたいと思っている自治体や企業ばかりだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　もやいの代表理事、稲葉剛さんは、「派遣村などの運動でようやく可視化されてきた貧困が、震災以降、決定的に再不可視化されている」というようなことを述べている。避難生活を送ってはいない私たちまでもが、線引きに乗ってその見方に荷担するのは、無関心によって現実を隠蔽する態度にほかならない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;（初出：北海道新聞2011年7月9日付け夕刊　各自核論）&lt;/DIV&gt;
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      <dc:subject>社会</dc:subject>
      <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
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      <title>2012年3月11日（日）</title>
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      <pubDate>Sun, 11 Mar 2012 22:53:06 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;SPAN class="asahi_editor_styling" style="font-weight: bold; "&gt;change of role&lt;BR&gt;&lt;/SPAN&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　震災や原発事故について、それが小説の言葉となるにはまだまだ時間がかかる、なぜなら小説は最も遅れる表現媒体で、対症療法的なメディアではないからだ、と、作家の多くは実感していることだろう。自らがある種、失語症的な状態に陥っているのを、もどかしく感じている人も少なくないだろう。そのように語っている言葉もたくさん目にした。それは９．１１のときもそうだったし、地下鉄サリン事件のときもそうだったし、湾岸戦争のときもそうだった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　にもかかわらず、小説自体は書かれている。文学業界の光景が一変することもない。一見、何もなかったかのようにそれ以前と同じ調子で小説は書かれ、たまにいち早く震災・原発事故を扱っている作品が現れても、それは本質的に震災・原発事故を扱っているというより、視界に入ったものが映ってしまったというような感じだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　かくいう私自身、震災前から準備していた長篇を、震災の少し後に連載としてスタートさせた。震災を受けて書き換えたり、テーマや内容を変更したりもしていない。震災直後は心が乱れて書けなくなったが、締切に追われて、自分でも意外なほど早く、執筆は再開できた。あたかも何ごともなかったかのように、連載は始まった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　けれど私は自分がやはり言葉を書けないでいると感じている。それまで私は、社会的、政治的テーマについて、自分の考えや感情を主にネットを通してできるだけ書くようにしてきた。個人として社会的な態度を言葉で表明し続けることは、言論が消費財化していく世の中で重要だと思ってきたからだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　震災からしばらくは、それまでどおりツイッターで盛んに書いた。けれども、ひと月、ふた月とたつうち、言葉を発するのが難しくなっていった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　最大の理由は、原発のことを始めとして、何かを語れば、どこかの立場に与してしまうことだった。どこかの立場に与すれば、そうでない立場を攻撃することになってしまう。自分にはその気はないのに、自分の言葉は何らかの立場に回収され、その立場の威力を増すことに荷担する。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　震災の前も、事情は同じだった。発言をする、言葉を表明するとは、そのような関係性に巻き込まれることの責任を引き受けることだからだ。震災後に変わったのは、私がその責任を引き受けられないと感じ始めた点である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　もうたくさんなのだ。言論が、現実から離陸し、現実を脅かさない領域で力関係を作り上げ、白熱していくことは。そのような言葉のあり方が原発事故の起こるこの社会を作った、という後悔が私から言葉を奪う。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　言論は、真に必要とするべき言葉を締め出してきたような気がする。例えば原発の件であれば、なぜ原発を誘致する土地がこれほど存在し、その土地の人たちがどんな気持ちで生活しているのか、知らないままでいた。原発事故で顕在化したのは、そのような人たちの存在だ。そして、そのような人たちが私と無縁ではないことが、目をそらせないほどに明らかになった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　今は、自分が語るときではない。深く関係していたのに知らないつもりでいた声を、聞くべきときなのだ。むろん、精緻に報道し、分析し、告発する言論は、これまで以上に必要だ。けれど、同時に、言論を発することができる者は、もっと耳を澄まし、目をこらし、五感を世にさらすべきときでもある。さもないと、対立構造を作り出して怒りをぶつけることで自らの不満を晴らすだけに終わってしまう。そしてそれは、これまでも繰り返されてきた、言論の消費財化だ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　このところ、change of roleという言葉が頭を離れない。二〇〇五年に山形でインドの作家と交流したとき、劇作家のマヘーシュ・ダッターニが何度も口にした言葉だ。「役割の交換」ということだが、マヘーシュは作品の中で９．１１後のイスラムとヒンディーが対立するインド社会を反映させ、宗教、カースト、性差、経済格差といった差異に分断された者たちが、はからずも自分とは違うはずの立場に置かれることで、絶対的だと思っていた差異に理由がないことを知っていく、という過程を描いた。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　言葉を発する側と受けるだけの側という役割を、交替するときなのだ。単に声を聞くだけではない。この場合の役割の交換は、言論を持つ者が現地の言葉を聞いてやる、という現在の力関係を維持したようなものではあり得ず、言論を持つ者が言論を手放して、自らの無力さをさらして言葉が発せられるのを待つ、という、力関係までもが交換されたものでなければならない。そのことで、これまで言論を作ってきた者たちの言語が、組み変わる必要がある。そして、小説もそのような言語を求めている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;（初出：すばる2012年1月号）&lt;/DIV&gt;
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      <dc:subject>社会</dc:subject>
      <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
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      <title>2012年3月11日（日）</title>
      <link>http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/03/11/6370740</link>
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      <pubDate>Sun, 11 Mar 2012 16:31:21 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;SPAN class="asahi_editor_styling" style="font-weight: bold; "&gt;『ロンリー・ハーツ・キラー』韓国語版読者の皆様へ&lt;BR&gt;&lt;/SPAN&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　2000年に行われた韓日文学シンポジウムに参加したとき、私はまだデビューから3年未満の新人作家でした。まだ自分の書いているものに自信が持てないでいました。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　その自信を与えてくれたのは、韓国の作家・詩人たちです。シンポジウムで私の短篇小説を読んだ韓国側の参加者たちが、その作品について、熱く論評し、こういう作品をどんどん書いていきなさいと、肯定してくれたのです。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　以来、私はさまざまな韓国の作家と交流してきました。語りあいながら、文学に対するきわめて誠実なその姿勢に、深く影響を受けてきました。今書き続けていられるのも、そうして出逢った韓国の作家・詩人たちのおかげだという思いを強く持っています。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　その韓国で、私の最も思い入れの強い長編小説である『ロンリー・ハーツ・キラー』を翻訳出版していただけることに、今、非常な感慨を覚えています。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　日本と韓国が抱えている共通の問題に、自殺があります。21世紀になるころから、日本も韓国も、世界でも有数の自殺大国となってしまいました。日本の場合は、13年連続で、毎年の自殺者が3万人を超えています。3万人という数は、3月11日に東日本を襲った大震災と津波で命を落とされた・行方不明になられた方々の数を上回っています。それほど多くの死に囲まれて生き続けるのは、つらいことです。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　なぜこれほど多くの人が、自ら死を選択していくのでしょう？&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　私は今、「死を選択」と書きました。じつは、この表現自体に違和感を覚えます。自殺する人は、本当に自分の意思で死を選んでいるのだろうか？&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　自殺未遂者やご遺族の話などを知ると、ほとんどの自殺は、自ら望んだものなどではない、ということがはっきりします。何かに追いつめられて、もはや目の前には死しかないような状況になって、消耗しきって判断力を失い、死のほうへ転んでいくのが大半です。それは｢自分で選択した死」などではなく、「選択させられた死」です。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　では何に追いつめられていくのでしょう？&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　それを、きわめて抽象的な、無意識のレベルにまで降りていって探ったのが、『ロンリー・ハーツ・キラー』です。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　日本も韓国も自殺者が多いということは、「人を死に追いつめる何か」について、共通したものがあるのではないでしょうか。私は、それがときに過剰なナショナリズムをあおり立てる力にもなるような気がしています。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　私は、韓国社会の何が人を自死に追いつめるのかについて、同じ問題を抱えている日本社会に生きる人間として、自分の問題として考えたいと思っています。ですから、この小説を読んで、皆さんがどのように感じ、何を考えるか、気になっています。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　いつか、そんなことを、この本を読んでくださった方々と話すのが、今の私の望みです。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　　　　　　　　　　　　2011年8月　　星野智幸&lt;/DIV&gt;&lt;DIV&gt;（初出：金京媛・訳『ロンリー・ハーツ・キラー』&#13;
韓国語版、）&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
      <dc:subject>文学</dc:subject>
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      <title>2012年3月7日（水）</title>
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      <pubDate>Wed, 07 Mar 2012 13:08:33 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;SPAN class="asahi_editor_styling" style="font-weight: bold; "&gt;この社会で表現は成り立つか&lt;/SPAN&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　二〇一一年九月に東京で行われた脱原発の六万人デモに参加した。そのとき歩きながら考えたのは、「この社会で表現は可能か？」ということだった。一般参加のコースは、初めてデモに参加しているらしき年輩の方々や家族連れが多く、シュプレヒコールもなく、ただ黙々とのんびり散歩しているような歩き方だった。私にはそれが新鮮であり、心地よかった。デモは声を張り上げることだけが表現ではない。むしろ、人間の集団そのものの存在感がその表現力の核心だ。ありきたりなスローガンをいかにもデモっぽい口調で連呼するよりも、押し黙って大量の人が歩いていることの表現力のほうが、ずっと強い。なぜならそれは見慣れない光景だからだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　私が、この社会で表現が成り立つのだろうか、と懐疑的になるのは、「見慣れない光景」へ踏み出すことの恐怖が社会に蔓延していると感じるためである。逆に言うと、現状は、「見慣れた光景」へ身をゆだねるようにしか表現がなされていない。「見慣れた光景」「聞き慣れた言葉」から逸脱することへの恐怖が、この社会を縛っている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　ちょうど今、私は「路上文学賞」という賞の選考をしている。昨年に有志と手作りで始めた、路上生活者を対象とした賞で、今年で二回目だ。書く文章は、小説でもノンフィクションでも何でもいい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　創設にあたって最も懸念したのは、書き手たちが世間の目線を気にし、世間の抱くホームレス像から逸脱してバッシングされることを恐れるあまり、世の通念となっている悲惨なホームレス生活を「見慣れた光景」の物語として書いてしまうのではないか、ということだった。自分たちが社会の攻撃性を誘発しやすい存在であることに、ものすごく敏感なのだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　ふたを開けてみれば杞憂に終わった。そこには、自分たちのこなれない言葉で、自分たちの現実が描かれていた。とてつもないユーモアさえ含んでいた。まぎれもない個人の表現で、それを受けとめている読み手の私は、確かに人間とやりとりしている手応えを感じることができた。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　一方で私は、文芸誌の新人賞の選考委員も務めている。最終選考に残る作品のレベルは高く、どの書き手も書く力については申し分ない。にもかかわらず、いつも一抹の空しさを覚えるのは、「見慣れない光景」へ踏み込むことの恐怖に屈し、どこか「見慣れた光景」を書いてしまっているからだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　それは数年前に大学で創作を教えているときにも感じ続けていた。短篇を書いてお互いに批評し合う授業だったのだが、評価の高い作品が現れると、次回からその作品に準ずるような形の習作が増える傾向があった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　そのときの評価としてよく使われるのが、「わかりやすくて良い」という言葉だった。「見慣れているから理解できる」という意味に、私には聞こえた。書き手たちは、ここで「わかりにくい」と批判されることを極度に恐れていた。「見慣れないものは理解できない」として、拒絶されるのだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　おそらく、創作をしたい人たちは、どこかでそのような息苦しさに抗いたくて書いているはず。なのに抗いきれず、「見慣れる」ことで受け入れられるほうへ折れてしまう。路上にいる人たちは、書き慣れず、折り合いの付け方が少し不得手であるがゆえに、表現できてしまうのかもしれない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　相手の目線、他人の考えを生きることで、かろうじて受け入れられる。だが、そこには個人としてのやりとりはなく、ただ踏み絵のように見慣れた光景を背負う孤独な姿しかない。自分の真の気持ちも存在も表す表現が、成り立たない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　六万デモが意義深かったのは、それだけの人数の人が、「見慣れない光景」へ一歩を踏み出そうとしたからだ。本当に表現してみようと、勇気を出したからだ。これは誰にでもできることなのだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;（初出：北海道新聞2011年10月14日朝刊　各自核論「社会における表現」）&lt;/DIV&gt;
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      <dc:subject>社会</dc:subject>
      <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>2012年3月5日（月）</title>
      <link>http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/03/05/6361853</link>
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      <pubDate>Mon, 05 Mar 2012 21:07:50 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;SPAN class="asahi_editor_styling" style="font-weight: bold; "&gt;居場所を削り合う社会&lt;/SPAN&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　少し以前、「便所メシ」という言葉があった。大学生が、一人で食事をしているところを誰かに見られたら、寂しい人として地位が下がるから、トイレの個室にこもって食事を済ませるのだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　他人の目線が、自分の評価のすべてになっているのである。自分の価値とは、自分で決めることではないのだ。そんな息苦しさは、自由気ままでいいはずの大学生ですら追いつめ、居場所を奪っている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　先日、ビッグイシュー基金の主催で行われた「若者ホームレス支援会議」に参加したとき、若い人の自己肯定感をいかにしたら育てられるかという話になった。今は若年層のホームレス化と自殺が急増しているが、その根本の原因に、うまくいかないのはすべてダメな自分のせい、という自尊感情の低さがある。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　キーワードは「居場所」。自分がそこにいてもよく、周りの基準に合わせずとも存在を認めて受け入れてくれる場所があれば、自尊感情も育ってくる、というわけだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　いったいいつから居場所は奪われたのだろうか。それは突然に進行したことではない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　サリン事件以前にオウム真理教に入信した者たちも、あの時代、居場所のなさに苦しんだ者たちだったと私は思う。まじめにものを考えようとする人間が「ネクラ」として嘲笑されたバブル期とは、要領のよさ、ノリのよさを身につけろ、という強迫観念に取り憑かれた時代だった。祭りに乗り遅れないよう必死で流行に引きずられていく生き方に、自由があったとはとても言えない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　そんな風潮に違和感を覚える者に、行き場はなかった。私は外部があると思い、メキシコへ脱出したが、より生真面目な者たちは、セクトしか選択肢がなかったのかもしれない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　サリン事件の後、私たちはかれらがなぜ入信し、先鋭化していったのか、虚心坦懐に耳を傾けるべきだった。そうすれば、かれらの中に自分と共通する部分があることを、知っただろう。私たちも、自分を放棄しているという意味では、本当の居場所を持っていないことに、気づけただろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　だが、社会とメディアが行ったことは、かれらの居場所をさらに奪うことだった。かれらを追放することで、自分たちの居場所を確保しようとしたのだ。自分たちとは異なる異常者として切り分けることで、私たち誰もの内に潜むオウム的なるもの、つまり自分らしさが肯定される居場所を持てずに生きているという不安と絶望から、目をそらしてしまった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　以来、この社会では、集団で誰かをバッシングをすることで自分を守ろうとする生き方が、標準となった。行き着く先は、すべての人間が完全に居場所を失う社会である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　原発から目を背けて原発を増やしてしまったように、オウム的なるものから目を背ければ、それはどんどん増殖する。例えば加藤智大の事件は、その一例だろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;　自分が社会から排除されて居場所がないと感じている者にとって、タブーなど存在しない。オウムのころ以上に居場所のなさが極まっている現在、さまざまな形で暴力を肯定する宗教的なセクトに人が集まっていくと、私は危惧している。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV&gt;（初出：共同通信2011年11月配信）&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <dc:subject>社会</dc:subject>
      <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
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      <title>2012年3月1日（木）</title>
      <link>http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/03/01/6355334</link>
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      <pubDate>Thu, 01 Mar 2012 13:20:06 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;b&gt;「指導者」を求める空気&lt;/b&gt;&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;&#13;
　その青年は苛立っていた。&lt;br&gt;&#13;
　子どものころから地味で目立たず、誰かから重要な人間だとみなされることもなかった。自分の価値のなさに絶望する一方で、自分を認めない社会にも恨みを募らせていた。&lt;br&gt;&#13;
　特に、すべてが金とセックスに換算されてしまう傾向に、憎しみを感じていた。自分の価値も究極的には、要するにいくらの金を生むのか、という一点で決められてしまう。私生活ではその価値が、男の場合は、どれだけモテるかと連動してくる。女の場合は、若さや容貌で計られる。同じ程度の金を生む人間であるなら、自分である必要はなく、誰でもよいのだ。&lt;br&gt;&#13;
　そんな尺度だけで自分が判断され、一生を決める仕事に就くのだと思うと、いっそ道を外れてしまったほうが楽だとさえ思う。けれど、凡庸な自分では、外れる勇気さえ持てない。&lt;br&gt;&#13;
　こんな社会は腐っていると思う。他ならぬこの「私」が生きているという最低限の実感すら持てないのだから。&lt;br&gt;&#13;
　しかし、そんな気分を誰も理解してくれない。何とかしないと誰も普通に生きられなくなる、と危機感を訴えるが、ネガティブな暗い人間として退けられる。&lt;br&gt;&#13;
　孤独だった。この異様さに気づかず、のほほんと生きているやつらに、目にもの見せてやりたかった。&lt;br&gt;&#13;
　そんなときだった、彼に出会ったのは。&lt;br&gt;&#13;
　彼はまず、目指すべき未来をわかりやすく描いてくれた。さらに重要なことに、誰のせいでこんな腐った社会になっているかを、明確に示してくれた。それは彼が憎んでいたのと同じ連中、つまり、自己保身ばかり考えてうまい汁を吸っている、「一般の人々」だった。&lt;br&gt;&#13;
　指導者は、一般の無知な人々の過ちを、きわめて苛烈な言葉で批判した。罵倒と呼んでもよいその強烈な怒りの言葉は、まるで破壊神を思わせ、聞いているだけで震え上がった。&lt;br&gt;&#13;
　その震えには、武者震いも含まれていた。過てる者たちを、われわれ使命を帯びた者が罰することが、最終的には過てる者を正しく導くことになるのだ。破壊することが、この腐って澱んだ社会を新しく作り直すことになるのだ。自分の苛立ちは憎悪などではなく、正義の怒りなのだ。怒るのは、正しいからだ。&lt;br&gt;&#13;
　青年の心は理想で熱くなり、過てる一般人への優越感で膨らんだ。指導者や仲間たちとの一体感に陶酔し、世直しという目的に熱狂した。自分が求めていたのはまさにこんな指導者なのだと思い、彼に自分をゆだねた。そうして青年は、自分たち正しい人間と、一般社会の間違っている無知な人々とを分けて考えることに慣れていった……。&lt;br&gt;&#13;
　この青年は特定の誰かではない。例えば、現代の大阪に生きる若い世代かもしれない。指導者とは、首長を務める政治家かもしれない。あるいは私が青年だった時代で言えば、オウム真理教に入信した若者かもしれない。&lt;br&gt;&#13;
　昨年の大晦日に自首した、元オウム真理教信者の平田信容疑者は、私と同じ年齢である。彼がオウムに入信したころ、私も時代の異様さに窒息しそうになって苛立っていた。私は文学の領域に脱出したが、彼はオウムへ逃れた。&lt;br&gt;&#13;
　オウムにいた者たちに共通するのは、その融通が利かないまでのまじめさや正義感である。かれらは、誰もが無責任を謳歌していたバブル時代に、世の病理を感じ、社会を新しく作り直したいという気持ちを人一倍強く持っていた。その意志が、なぜ、あのようなおぞましい事件へ結びついたのか。&lt;br&gt;&#13;
　私は昨年に行われた大阪のダブル選挙の熱や、その後の日本の空気を感じるにつけ、そのことを考えてしまう。それは、指導者を求める側の問題なのだ。&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;&#13;
（初出：北海道新聞2012年1月13日付朝刊　各自核論）&lt;br&gt;
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      <dc:subject>社会</dc:subject>
      <dc:subject>政治</dc:subject>
      <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>2011年7月28日（木）</title>
      <link>http://hoshinot.asablo.jp/blog/2011/07/28/5987746</link>
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      <pubDate>Thu, 28 Jul 2011 09:19:02 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2011-07-29T15:36:18+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2011-07-28T10:16:04+09:00</dcterms:created>
      <description>　あさって30日の土曜日は、ライフリンク主催のトークイベント&lt;a href="http://live.nicovideo.jp/watch/lv55466596"&gt;『メメント・モリ』&lt;/a&gt;に出演する。すでにチケットは売り切れているが、インターネットで生中継（ニコニコ生放送）されるとのこと。&lt;br&gt;&#13;
　同じく出演されるのは、『困ってるひと』で多くの人の心を揺さぶっている作家の大野更紗さん @wsary 。あさってを控えて、大野更紗さんのことを書いておきたい。&lt;br&gt;&#13;
　私が大野さんを知ったのは、昨年の春ごろ。ドキュメンタリー映画『ビルマVJ』を見て、ツイッター上で「ビルマ情報ネットワーク」 @BurmaInfoJapan をフォローして読んでいたところ、大野さんのつぶやきがリツイートされていたのだった。当時はまだ本名で書かれていていた。それで大野さんの他のつぶやきも読み始めたところ、夢中になってすべてのつぶやきを読んでしまったのだった。大野さんはまだ入院していらして、ご自身の病状や病院での日常を、ずっと関わってきたビルマについてのつぶやきとともに、詳細に書き記していた。そのリアリティたるや、まるで読んでいる私が入院生活を送っている感覚に陥るほど。（大野さんの過去のつぶやきは&lt;a href="http://twilog.org/wsary"&gt;twilog&lt;/a&gt;で読めます。）&lt;br&gt;&#13;
　私が魅了されたのは、その言葉だった。素晴らしい言語感覚で、置かれている日常の細部を記述し尽くそうとするものだから、私はその言葉に飲み込まれてしまった。大野さんがどんな病気なのかもよくわからないのに、心身を縛る一秒一秒の感覚が、こちらの感覚に迫ってくる。これまで想像したこともない、難病者のリアリティに初めて触れた瞬間だった。むろん、本当に理解し自分の感覚とすることはできない。ただ、言葉の力に喚起されて想像力のスイッチが入り、ほんのさわりを体験しただけだ。それでも、そこが、自分の頭では届かない他人に触れるための、よすがなのだ。&lt;br&gt;&#13;
　そのころの大野さんの文体は、今とはまた違っていた。私はあの文体が好きだった。大野さんの言葉は、本質的に詩だと、私は思っている。言葉で書き表せないことを、言葉が含んでいるからだ。&lt;br&gt;&#13;
　さらに、大野さんは他の難病の方々と、ツイッター上でやりとりをされていた。私はその方々のツイートも読むようになった。同じような難病者であっても、もちろん人それぞれで、さまざまな考え方や、日常の記し方があった。いずれも私が知らなかった日常であるが、複数の難病の方の日常を読み続けているうち、それが普通に存在しているこの社会の日常の一部として感じられるようになっていった。これは自分としては劇的な出来事である。自分がその中で生きている日本の社会を考えたり想像したりするとき、常にそのような立場の人の存在も頭に入ってくるようになったのだから。&lt;br&gt;&#13;
　それからほどなくして、大野さんは退院された。その経緯は『困ってるひと』に詳しい。余談だが、私には車椅子の障害者の叔父がいたが、その叔父が、病院や施設ではなく、地域社会に入って自分で生きることにものすごくこだわっていた。選択肢を持つこと、それを自分で選ぶこと、それが自分の意思を持つことにつながること、そのことに強いこだわりを持ち続け、そういう社会を作ることに、八王子で執念を燃やしてきた。&lt;br&gt;&#13;
　大野さんは、退院されてからも、退院後の日常生活の細部を、ものすごい勢いで書き続けられた。日々の食事、読んだもの、見た映画、病院とのやりとり、薬の仕分け、ヘルパーさんのこと、車椅子申請の気の遠くなるような手続き……。それらが、難病者として一人で生きることの感触を、つぶさに伝えてくる。中でも私が印象的だったのは、大野さんのご両親が送ってくる野菜だった。大野さんのお母さんが、収穫した野菜に手書きでメッセージを添えている写真には、胸を衝かれた。大野さんにこれだけの気持ちの強さがあるのは、こんなご両親に囲まれて育ったという環境もあるのだなあ、と感じた。だから、原発の事故があったときに私が想起した人々の中には、大野さんのご両親のこともあった。&lt;br&gt;&#13;
　そして、『困ってるひと』の連載開始である。あれだけの言葉の書き手なのだから、何かまとまったものを書いてほしいと思っていたし、懇意の編集者も大変に関心を示していたから、やがては……なんて私も考えたりしていた。そうしたら連載が始まったので、待ってましたという気分である。&lt;br&gt;&#13;
　そこでようやく、私も大野さんの病や置かれている実情の全体像を知ったのだった。大野さんはそれを、それまでのツイッターでの文体とはまるで違った文体で書き始めた。これにも度肝を抜かれた。何という多彩な言葉の使い手。この本について感じたこと学んだこと得たことは限りないが、中でも私にとって強烈だったのは、4章である。ここで書かれていないことに、読みながら言葉を失った。そして、病院の先生たちのやりとりから焦点を結んでくる、医療の文化の問題。大野さんが現在、生存を賭けて最も戦っていることである。&lt;br&gt;&#13;
『困ってるひと』から読み手は間違いなく力をもらうだろう。そのもらった力を、今度は少しお返ししようではないか。大野さんは、表現者として、全身全霊で「難病者」というカテゴリーを作り、自分の身をさらすことで認知させている。「難病者」は私たちの生きる社会のあちらこちらで生活を送っているし、何よりも、私たちは全員が難病者予備軍である。生きているかぎり、難病になる可能性は誰でもいつでもはらんでいる。だから、難病者が社会からこぼれ落ちずに生きられるように、そのような制度が可能になるように、難病者の存在を常に意識のどこかに置いておくよう、『困っているひと』を読んで得た力を少しそちらへ振り分けようではないか。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
      <dc:subject>お知らせ</dc:subject>
    </item>
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      <title>2011年7月20日（水）</title>
      <link>http://hoshinot.asablo.jp/blog/2011/07/20/5965260</link>
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      <pubDate>Wed, 20 Jul 2011 22:02:57 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2011-08-05T22:27:07+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2011-07-20T23:32:59+09:00</dcterms:created>
      <description>　女子サッカー日本代表、その団結力、とてつもない諦めなさがどこから来るのかを考えると、最初に思い浮かぶのは、アルモドバル監督の『オール・アバウト・マイ・マザー』だ。あの団結力は、『オール・アバウト・マイ・マザー』を核をなす、「女たちの絆」に最も近い。映画の女たちは、互いが困っている・弱っているときにこそ、共感し助け合う。そこには利害感情がない。だからとてつもなく強い。&lt;br&gt;&#13;
　それは、名誉の意識がつなぐ男同士の絆とは、そもそもの出自が違う。女にもともと備わっているという本質的な要素ではなく、「女」として生きてきた環境によって持つにいたった要素であることを、『オール・アバウト・マイ・マザー』は示している。日本の女子サッカー選手の絆と不屈さも、存在が無視されていることを前提として生きる者たち同士の、絆と不屈に私には見える。私の日常で言えば、つきあいのある出版社の女性編集者たちにも、同じようなものを感じる。だから、彼女たちは一般に、男の社員よりも不屈だ。一般的には男の社員が最後には、「会社の方針なんで」と会社の価値観に自分を寄り添わせることを選択してしまうところを、彼女たちはできるところぎりぎりまで戦い続ける。&lt;br&gt;&#13;
　映画で言えば、溝口健二の『赤線地帯』なんかにもそれがある。そして、今、メキシコからそのような映画の秀作が登場した。23日からシネマート新宿で公開される&lt;a href="http://www.action-inc.co.jp/hierbas/"&gt;『グッド・ハーブ』&lt;/a&gt;だ。&lt;br&gt;&#13;
　世の中の流れから少し外れて生きている母娘とその息子の物語。母ララはメキシコにアステカの時代から伝わる薬草の研究者。主人公である娘ダリアは、幼い息子を育てるシングルマザー。母ララが認知症を患うなか、娘ダリアはそれまで知らなかった母の歴史と向き合っていく。それは、自分自身と向き合う過程でもあった。&lt;br&gt;&#13;
　大きな物語が進展するわけではない。とても静かに、ゆったり、時間は流れる。ときおり映し出される植物の数々が、そのゆったりしたリズムの通奏低音を奏でる。その時間の中で、女たちがさまざまな会話を繰り広げる。&lt;br&gt;&#13;
　この静かな時間の、何と心地よいこと。日々、重苦しい何かに圧迫されている現在の私には、心底、ひと息つける時間だった。&lt;br&gt;&#13;
　最も美しいシーンのひとつが、ダリアが高齢の友だちであるブランキータ（この女優が素晴らしい！）の家の屋上で、仲間の女性も交えて3人でマリファナを吸いながら、おしゃべりの愉楽に浸りつつ、洗濯物を干す場面だ。『オール・アバウト・マイ・マザー』の、マヌエラ、ウマ・ロホ、ロサ、アグラードがおしゃべりを久広げる名場面を思い起こさせる。&lt;br&gt;&#13;
　マリファナと書いたが、ここで登場する薬草は、近代社会では麻薬の類とされるものも含まれる。それらは、メキシコの先住民文化では、世界秩序のひとつだったのだから。&lt;br&gt;&#13;
　この作品には、マリア・サビーナというおばあさんが何度も引き合いに出され、最後には映像が映る。幻覚キノコを扱う、実在した先住民の女呪術師である。欧米では、1960年代にこの人の存在がドキュメンタリーとなったことで、麻薬文化に火がつき、ヒッピームーブメントの原動力となった。ダリアはいわばヒッピームーブメント2世である。&lt;br&gt;&#13;
　私は、1992年にメキシコ留学中、オアハカという先住民文化の濃い土地に旅行したとき、たまたま知りあったアルフォンスというオランダ人から、マリア・サビーナのことを教えられた。そのドキュメンタリーである本を示され、これは素晴らしい本だから日本語に翻訳してみないか、と言われて読んだのだ。（当時のメキシコにはこういうオランダ人やドイツ人がゴロゴロしていて、いまだヒッピー文化のまっただ中にあった）。そして、幻覚キノコの儀式への仕様は厳密なカレンダーと掟によって決められていて、それを守らないとまったく儀式としての効果がないことが語られていた。&lt;br&gt;&#13;
　だからこの映画の醸し出す雰囲気が、懐かしい。大学にもヒッピー文化は色濃く残っていた。1990年代のメキシコはこんな感じだったよなあ、と思う。ある意味で、『アモーレス・ペロス』などような「男の子」映画よりも、メキシコっぽさを伝えていると思う。&lt;br&gt;&#13;
　監督はマリア・ノバロという女性。女性の生き方を、妥協なく落ち着いた視線で描く。私が住んでいた1991年には『ダンソン』という映画が高い評価を受けていた。私も何度か見て、深い感銘を受けた。主人公の女性（確かシングルマザーだったような）が、昔流行ったキューバの「ダンソン」というゆったりしたダンスを手がかりに、親の過去へと向き合うもの。と、書くと、『グッド・ハーブ』と似ている。&lt;br&gt;&#13;
　マリア・ノバロの映画がようやく日本で公開されて、本当に感激である。&lt;br&gt;&#13;
　映画のサイトは&lt;a href="http://www.action-inc.co.jp/hierbas/"&gt;こちら&lt;/a&gt;。何であれ、疲れている人は、「グッド・ハーブ」を摂取してみると、落ち着くだろう。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>映画</dc:subject>
      <dc:subject>お知らせ</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>2011年7月19日（火）</title>
      <link>http://hoshinot.asablo.jp/blog/2011/07/19/5963157</link>
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      <pubDate>Tue, 19 Jul 2011 09:48:56 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2011-07-19T10:43:50+09:00</dcterms:modified>
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      <description>　女子サッカーを見始めた10年前、強豪国であったのは、王者アメリカ、ドイツ、スウェーデン、カナダ、中国、北朝鮮などであった。この名前を見ていて気づくのは、北方の欧米諸国か、東アジアの社会主義国だということだ。両者に共通するのは、女性の社会進出が相対的に進んでいるという点である。&#13;&lt;br&gt;
　女子サッカーの隆盛は、フェミニズムとともにある。女子サッカー文化の発展を牽引しているアメリカは、性差別を超えるプログラムの一環として、女子サッカー教育に力を入れた。その結果、女子サッカーはアメリカでは、「女こども」がするスポーツとなった。同様に、フェミニズム先進国であるドイツやスウェーデン、カナダといった北方の欧米諸国で、女性たちが積極的に関わってきた。男女同権が党是である「共産主義国」の中国や北朝鮮では、その国家主義的強化もあって、いち早く強豪化した。そこで隆盛化したのは、力と体格を前面に押し出すパワーサッカーだった。男子サッカーと違って、ヨーロッパにせよアメリカ大陸にせよ、マチスモの色濃いラテン諸国（ブラジルを除く）がいまいち強くないのは、そのような成り立ちも関係している。日本の女子サッカーはまず、身近にいる中国や北朝鮮の打倒を目指して成長し、さらにアメリカやドイツのリーグでプレーすることで成長した。パワーの先進諸国に育てられて、パワーではない新しいあり方を開花させた、妹分なのだ。&#13;&lt;br&gt;
　9年前に日本女子の代表をスタジアムに見に行ったとき（ワールドカップ予選のプレーオフ、対メキシコ戦）、そのチームは技術はなかなかだけど、球のスピードも遅いし、走力もないし、ミスも多かった。にもかかわらず、とても胸を打たれて、魅了されてしまったのは、男子サッカーが持たない「熱さ」を持っていたからだ。サッカーをすることの喜びに満ち、その喜びを貪り尽くそうと、ものすごく必死だった。&#13;&lt;br&gt;
　今度の優勝を見ればわかるように、今のチームもその延長上にある。熱さと喜びへのかぎりない貪欲さこそが、人々を魅了したのだ。&#13;&lt;br&gt;
　そして、ここが重要なのだが、これは男社会に最も欠落しているものだ。女子サッカーは、たんに、男子のしていたサッカーを女性がしているのではない。その文化の根っこに、男社会の持つ無意味さや空虚を否定する要素を持っていて、それが大きな原動力のひとつとなっている。この場合の男社会とは、もう機能しなくなっているのにその権限の保持だけに必死になっている既得権益層（例えば一部の行政機関、政府、行政と結びついた私企業等々）と言い換えてもよい。そしてそれを消極的に無為に受け入れ維持させてしまう、この社会。そういった、日本社会の「現実至上主義」のメンタリティを指す。男子のサッカーはそれに寄り添っているところがある。女子のサッカーはそのアンチテーゼだ。&#13;&lt;br&gt;
　私はそのようなものとして、女子サッカーを、ありうべきひとつの未来のイメージとして、楽しみ、考え、見てきた。その象徴にして実像が、澤穂希だ。そうやって、2002年に「ファンタジスタ」という小説も書いた。9.11 後の小泉（首相）的社会に対置させるべき像として、澤を想像した。&#13;&lt;br&gt;
　私は現実の日本女子サッカーに、過剰な意味づけをしているとは思う。選手はそんなことまで意識していないし、もっとシンプルに行動している。でも、私が幻想を抱いているわけでもない。女子サッカーという存在は、本当にそのような要素を持っているのだ。&#13;&lt;br&gt;
　だから、私はごく少数の人を除いて、今の喜びを共有はしない。少なくとも、女子サッカー文化を知ろうともせずに、数ある「日本代表」のひとつとしてのみ消費して「感動」しようとするような空気に対しては、関係ないねと言いたい。女子サッカーの文化を蹂躙するようなメディアの盛り上がり方には、「おまえら終わってるよ」と言いたい。（だから私自身は「ナデシコ」という名称も使わない。その名称が普及に大きな役割を果たしていると思うし、だから選手も好んで使っていることも承知しているけれど）。&#13;&lt;br&gt;
　この優勝の盛り上がりに、女子サッカーがメジャー化するという希望と、何だか水を差したくなる嫌悪と、両方を感じてしまう。被災で弱った社会が、ここから力を受け取るのは素晴らしいと思う。選手たちがその祈りを胸に戦ったことにも間違いなく心を打たれる。一方で、被災や復興を口実に盛り上がるな、と腐したくもなる。作り物のニセの感動物語を真に受けるな、と言いたくもなる。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
      <dc:subject>サッカー</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>2011年6月8日（水）</title>
      <link>http://hoshinot.asablo.jp/blog/2011/06/08/5902655</link>
      <guid>http://hoshinot.asablo.jp/blog/2011/06/08/5902655</guid>
      <pubDate>Wed, 08 Jun 2011 12:16:43 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2011-06-08T12:37:15+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2011-06-08T12:37:15+09:00</dcterms:created>
      <description>　自民党の不信任案や、それに民主党の小沢系議員が乗ろうとしたことや、今の大連立話に、非常な違和感を覚えるわけだが、その理由のひとつには、現内閣を批判する議員が、では震災に対して死にものぐるいの努力をしてきたのか、ということがある。&#13;&lt;br&gt;
　私は菅内閣を支持しないが、こんな状況で政権が交代することも支持しない。震災時の内閣が力量不足をあからさまに呈しているなら、まずは民主党の他の議員が持てる能力を出し切ってサポートに回るべきだったし、さらには野党ももっと建設的な助言や提案を行うべきだった。そんなことをした国会議員が、どれほどいたことだろうか。小沢氏は岩手が地元だが、どれだけ東北のために奔走したのだろうか。別に地元でボランティアをしろというのではない。だが、東北の自治体を助けるような施策や法案の実現に全力を尽くすぐらいできるだろう。&#13;&lt;br&gt;
　だが、現実に行われたことは、誰もが早く倒れてほしい菅内閣が失敗するために、わざと手を貸さず、傍観し、次々と明るみに出る失態を理由に、自分たちがろくに何もしてないことは棚に上げて、信用できない、辞任しろと迫るという、利己主義の極地のような行為だった。少なくとも民主党は、菅直人をお飾りにしてしまうぐらいに、他の議員が全力を出し切るべきだった。浜岡原発を停止したことで菅内閣の支持が持ち直すことを恐れた原発利権擁護派の議員や官僚たちが、その後、どのような情報操作をしたのか、知りたいものだ。&#13;&lt;br&gt;
　苦境にある人がこれほどたくさんいるのに、持てる実力（ある、と仮定して）を出し切らないのであれば、少なくともサッカーなら代表から落とされる。このような議員たちは、すべて有権者の代表から落ちるべきである。&#13;&lt;br&gt;
　この数日の政治状況を脇目に見ながらの（まともに見る気にはならない）、私の感想は、「独立したいな」である。独立して、あの政府、あの議会、あの官僚とは違う国家組織を持つ国に住みたいな、という気分である。一番いいのは、あの連中に、どこかひとつ、無人の島でも与えて、そこで今の政治をしてもらい、それ以外の地域が独立して、新たに統治組織を持つことだ。でも、有権者が同じだと、結局同じ結果になるのかな、とも思うけれど。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>政治</dc:subject>
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