お蔵入りしていたW杯小説を公開します2018-06-11

 今週の木曜日にはいよいよワールドカップ開幕。それに合わせて、ずっとオクラ入りしていた私のサッカー小説を、ブログに公開しようと思います。

 ワールドカップ小説「緑のレプリカ」

 なぜ、商業的な発表ではなくて、無料で私的な公開にするのか、この小説を書いた経緯とともにご説明いたします。
 この作品は4年前のブラジル・ワールドカップに合わせて、ブラジルの編集者から依頼されたものでした。ブラジルが優勝した5つの大会を、それぞれの大会が開かれた国の作家に、フィクションないしはノンフィクションの物語として書いてもらい、5冊本のシリーズとしてブラジルで刊行する、「Libros del Penta(5冠の書、かな)」という企画もの。
 ブラジルが優勝したのは、スェーデン、チリ、メキシコ、アメリカ、日韓の大会で、私は、日韓の大会の決勝が行われた日本の書き手、ということでお声がかかりました。そのブラジル人の編集者によると、日本の某大学のスペイン語科の学生か院生と接点があって、その人から推薦してもらったとのこと。その方には感謝しております。
 他の国の書き手も面白い面々で、邦訳も出ているラテンアメリカの小説家なんかもいて、私としては光栄かつやりがいのある仕事だとまずは思いました。
 しかし、相手はブラジルです。メキシコにせよ、こういう仕事が企画通りに進むのかは、とても怪しい。その編集者は、メールのやりとりやFacebook等で見る限り、いかがわしい人ではなさそうでしたが、そういうことは別にして、ラテンアメリカの仕事は一寸先は闇であり、日本の感覚で進めるとエライ目に遭うことは、経験的にも想像つきます。
 なので、私は、この話がポシャっても損はしないよう、労力をかけすぎないようにして、話を進めることにしました。
 まずは契約書の作成ですが、労力をかけないようにと思った先から、これがいちばんの難物でした。編集者とはスペイン語でやり取りをし、契約書もスペイン語でかわすことになったものの、そのような文書をスペイン語で扱う事など初めてなので、もう用語や言い回しがわかりません。大変な苦労をして、ようやくサインをしました。
 契約金の半額が最初のアドバンスとしてすぐに支払われ、残りの半額は出版予定のちょっと前に払い込まれることになっていました。私は最初の振込を確認してから、取り掛かりました。トータルしても日本円ではさしたるお金にはなりませんが、まあ出版されてくれれば、私としては十分でした。
 ページ数等から換算するに、日本語で原稿用紙換算約200枚を書けば、最低限、なんとかなる感じでした。労力をかけすぎない工夫として、次の2点を決めました。
 まず、2002年の日韓ワールドカップについては、自分のブログで詳細な観戦記録を書いていたので、これを活用すること。ブログを書いているサッカーフリークの作家を登場させ、ブログをそのまま転載するのです。
 もう1点は、トータルで約1ヶ月以内に完成させること。それ以上の時間はかけないこと。
 半分まで書いたところで、原稿を送りました。そして、残りの半分は、残りのギャランティーが振り込まれたら送る、と告げました。
 そこからは、私の悪い予想のままに進みます。支払い期日が迫ってきたころ、編集者から、出資してくれるところからの入金が小さなトラブルで遅れているので少し待ってくれ、というメールが、小刻みに連続するのです。私は一応、原稿はラフに仕上げてありましたが、もっと肉付けしたり、奥行きのある展開にしたり、細部を充実させることは、本当に本が出ることが確実になってからにしようと思っていました。しかし、ワールドカップの3ヶ月前の春の段階で、まだ財政状況が好転しないのでもう少し待ってくれないか、オノ・ヨーコの本が出版できたので状況が好転するかもしれない、というメールを最後に、連絡は途絶えました。2013年の春に最初にオファーをもらってから、約1年後のことでした。
 まあ、予想されていたことでしたし、ギャラの半分はもらいましたが、契約書って、国をまたいでしまうとほとんど意味をなさないな、ということを学びました。
 さて、ではこの作品をどうするか。すでに中途半端に報酬をもらった作品だし、労力を制限して書いたものなので、日本の媒体に持ち込むことはためらわれました。そうするのであれば、もっと完成度を上げなくてはならないけれど、すでに『呪文』という作品の執筆に取り掛かっていたので、そんな余裕もありません。そんなわけで、お蔵入りしたわけです。
 あれから4年が経ち、またワールドカップが巡ってきて、読み直したところ、なんだかお蔵入りはもったいない気がして、それなら個人的に公開しようと思うにいたりました。
 書かれている世界像は、最新の作品集『焔』に収録の「大角力世界共和国杯」と共通しています。2002年の日本でも、ワールドカップを通じてこんなことがあったかもしれない、と私が願う世界を作品にしました。いや、絶対にあったと思います。私としては珍しく全編リアリズムで、ブラジルの読者に日本の姿を伝えるために、啓蒙的なまでにわかりやすく書きました。
 登場人物のうち、日系ブラジル人の「キチ」が育った境遇については、一部、私の尊敬するフットサル日本代表のエース、森岡薫選手の自伝『生まれ変わる力』(北健一郎と共著、白夜書房)を参照しました。特に、日系ペルー人として十代で親とともに日本に来てから、不良少年時代に逮捕されて強制送還の危機に陥ったくだりです。もちろん、「キチ」の人物像は私の創作で、森岡選手とは関係ありません。森岡選手のこの自伝、私は何度も泣きましたが、労働力として外国人が急増している今の日本社会を考えるためにも、ぜひ皆さんに読んでほしい良書です。
 また、スペイン語通訳として、当時、メキシコ人を始め外国からの観戦客をアテンドしていた友人からも、いろいろエピソードを聞き、資料もいただきました。小説にも通訳が登場しますが、人物造形は私の創作です。むしろ、私の問題が投影されています。
 サッカー好きな人はもちろん、サッカーのことはよくわからない人でも読めるのではないかなと思います。楽しんでいただければ嬉しいです。