2016年2月29日(月) ― 2016-02-29
In Memory of Yuko Tsushima
by Tomoyuki Hoshino, writer
Captivated by the Openness of Her Heart and Mind
Yuko Tsushima and I began to develop a close friendship in the early 2000s. It was when I took part in the Japan-India Writers’ Caravan, a group of Japanese writers who decided to go to India on a do-it-yourself tour to meet firsthand with Indian writers. Tsushima-san wanted very much to visit an indigenous village in Bengal, whose indigenous people have a long history of oppression. She listened intently to one of the elders talking about the village’s history and culture, while also taping him. But the whole time I couldn’t take my eyes off the wrinkles around the old man’s elbows. They were so dense they formed a kind of design.
Afterwards, when I admitted this to Tsushima-san, she said at once, “Me too! They made quite an impression on me.” I was delighted. Well, well, I thought, Tsushima-san is a child at heart, and—setting aside what that says about me—I felt we had something in common.
Put like this, it risks sounding merely like a racist focus on otherness, but what we had both received was a real, textured sense of the people who lived in that place. I was delighted to learn that we’d both had the same reaction: here was a person I could really get to know, someone with whom I clicked. And I was right, as it turned out.
The Japan-India Writers’ Caravan got started because Tsushima-san thought it was weird that Japanese and Indian writers had to get to know each other’s literatures via their reception in the West, and a number of us shared that feeling. We wouldn’t rely on official events or a program organized by somebody else; we would do it ourselves. It was action like this that was so very characteristic of Tsushima-san. I became quite captivated by her open-hearted, open-minded approach, the way that in encountering complete strangers she was eager for direct contact, not mere formalities. And I felt as though I was inside a Tsushima novel. There are many characters—especially women—in her books who take bold action, seemingly in the grip of a fever, to bring themselves directly into contact with another person. How fired-up, and refreshing, and good it feels to act like that!
The novels were Tsushima-san through and through. She faced the things that made her angry, the problems she couldn’t look away from, and people for whose way of life she felt a deep affinity; she faced them head on and stuck with them and turned them into words. There were no taboos for Tsushima-san.
She was always frank and outspoken, and she usually had a slightly abstracted air. Talking with her, I was able to be open about my own emotions. At things like literary award parties, which I’d rather not attend if I could help it, as soon as I spotted Tsushima-san I would breathe easy as if I’d found a respite. I’d join her and we’d chat, complaining about politics, cracking a joke or two.
That tacit understanding we had has been severed, and at this moment I am groaning with the physical pain. But when I read her fiction, communication is instantly restored. I can hear Tsushima-san’s voice: “So it’s over to you, then, Hoshino-san, okay?” I want to answer, “Set your mind at rest.”
Writer Yuko Tsushima died on February 18 of lung cancer. She was 68.
Sankei Shimbun, February 24, 2016
(Translated by Geraldine Harcourt)
2013年8月19日(月) ― 2013-08-19
中島岳志さんの新刊『血盟団事件』を、渇きを癒やすように読んだ。昭和初期の白色テロを克明に追ったノンフィクションでありながら、私はもう間もなく訪れる近未来を先取りして読んでいるような気分だった。私の感覚としては、きわめてリアルな近未来小説だった。
私は中島さんがこの本の執筆を公にしてから、ずっと刊行を待ち続けていた。私も10年前に血盟団事件に深い関心を持ち、『ロンリー・ハーツ・キラー』という小説を書くためにいろいろと調べたからだ。
期待に違わないどころか、10年前に出ていたらとため息すらついてしまう。膨大な証言と資料と実地調査を重ねた、とてつもない労作である。中島さんのノンフィクションの書き方は、まず、その当事者の言葉を徹底的に読み込み、さらに他の資料にもあたり、同時に当事者の関係した場所を実際に訪ね歩き、あたかも中島さんがその当人であるかのように、目にした光景を幻視しようとする。当人が憑依したかのような書き方が、中島さんのノンフィクションを限りなく文学に近づけている。想像で補って物語を作るのではない。書かれるのはほとんど、当事者たちの言葉や資料にある言葉だが、それを正確な文脈に還元するために、中島さんは当事者に成り代わってみようとする。この書き方とそっくりなのは、伊藤整の『日本文壇史』だ。あの作品が小説以上に小説であり、時空を読む場に再生してしまうのは、伊藤整が消えて、当事者たちの言葉がよみがえっているからだ。
『血盟団事件』も、そのように書かれている。それがこの異様なリアリティの理由である。
私が血盟団事件に興味を持ったのは、「先鋭化」「純化」ということにずっとこだわっていたためだった。なぜ動機は正しいはずの行いが、おぞましい結果をもたらすことがありうるのか。オウム真理教のことなども考えながら、正しさがおぞましい暴力に転化する原理として、「先鋭化」「純化」があると思った。血盟団事件は、まさに先鋭化のもたらした悲劇だった。
事件を起こした青年たちのまじめさ、一途さ、正義感は、オウム真理教の信者たちと通ずるものがある。麻原彰晃同様、血盟団事件の中心、井上日召も、地味で目立たない平凡な者たちと、エリートの学生たちを、ともに惹きつけた。麻原と井上日召が異なるのは、世俗的な権勢欲だろうか。
両者とも、それなりの修業を経て、仏教を媒介にした世界観に覚醒した。その経験に裏打ちされた教義は、外部の者がいかにいかがわしい目で見ようが、それをはじき返すだけの強さがある。その強さに青年たちは惹きつけられ、信仰を持つにいたる。
そこに先鋭化の萌芽がある。信仰は、それ以上は理屈で解体できないという絶対性の感覚に基づくものだからだ。それが純粋であるほど、相対化が難しくなる。自分のしていること、信じていることを、立ち止まって考えることはなくなる。絶対性の感覚に支えられて、迷いは消える。
『血盟団事件』では、井上日召が覚醒する様子、青年たちが井上日召を絶対的に信じていく様子が、克明に描かれる。その過程を私には批判などできない。なぜなら、そのようなある種究極の信用を求める強い気持ちは、私の中にもあるからだ。おそらく誰でも飢えているものだと思う。でもそこにたどり着けるのは、厳しさに耐えうる少数の者なのだ。
宮内勝典さんが『善悪の彼岸』で、オウム真理教の教義を徹底的に論破し尽くしたように、『血盟団事件』は、彼らを支えた井上日召の世界観、教義を、徹底的に読み込んでいく。この作業はきわめて重要である。かれらの絶対性の感覚を支えていたのは、その教義の内容自体なのだから。これを見落としたり軽視したら、かれらのテロ行為の中に存在する道理を見失う。そしてその道理自体は、何人たりとも軽々しく否定はできない。それがかれらの存在を賭けた、この社会への批判そのものである以上。
絶対性の感覚をもたらすのは、血盟団の時代では天皇である。「現人神」であったのだから、疑いえない存在として信仰の対象であったのはいうまでもないが、面白いのは、血盟団の者たちの中にも、その絶対性への信仰を相対化する視点を持った者たちがいたことだ。農本主義者、権藤成卿の『自治民範』で説かれた社稷自治に共鳴した者たちである。この部分には非常に驚いた。
青年たちの「純化」を促進した要素の一つは、「男たちの絆」である。これもあの時代には特別なことではなかっただろうが、かれらの中の取り決めとして、どんなに優秀でも女性は同志に加盟させない、という一項があった。
私が『ロンリー・ハーツ・キラー』で考えたのは、先鋭化、純化に歯止めをかけるために「男たちの絆」を放棄すること、だった。女性が平和主義者だと言いたいのではなく、「純」=一様になっていくことが、危うさを高めるということである。『血盟団事件』でも、井上日召の娘の証言などから、その構造は垣間見られるようになっている。
現代と昭和初期の、過酷で不平等な社会環境の驚くほどの類似を前に、中島さんは青年たちの心持ちに寄り添い限りなく共感しながらも、それが虚しい暴力となり、さらには批判していたはずの国家に収奪されていってしまった原因を、しっかり見つめている。本文の中で説明されるわけではないが、読んだ者がそれを考えるよう、周到に準備されている。先鋭化、純化を立ち止まらせ、なおかつその志を失わないためにはどうしたらいいのか。そのヒントは、例えば中島さんの『「リベラル保守」宣言』を読めば、見えてくるかもしれない。
2013年5月31日(金) ― 2013-05-31
私は文学は表現としては臨界に達し、ただ、その時代時代での切実さを言葉にすることに意義が残るのだと考えていたけれど、いとうせいこうさんの文学はその狭い見方をあっさりと破ってくれた。東京にいると南十字星は見えないが、沖縄ぐらいまで移動すれば見える。そこではそれは普通のことである。見えないからといって、存在しないわけではない。いとうさんは、文学と言われている領域とは違う領域での移動を重ね、あちこちにまだ発見されていない文学があることを確かめてきた。文学とはいとうさんにとって移動する領域の一つにすぎないが、そのことが、文学の人には見えない文学を見ることを可能にしてきた。そうして発見したあちこちの文学なるものに、いとうさんは虚心坦懐に感銘を受け、自分の生に還元し、自分を媒介として、文学へ移し替えようとした。それはいとうさんにとって自然なことだっただろう。だから、私は見たこともない、けれどとても普通に存在している『想像ラジオ』という文学に、驚愕してしまったのだ。初めて南十字星のある夜空を見たような状態だったわけだ。でもそれは普通に存在している空なのだ。
いとうさんは、日本語の近現代文学について、きわめて原理的に考えてきた作家である。また、作品のテーマについても、徹底して考え調べ詰めないと書かない人である。何でも突き詰めてしまう性格なのかもしれないが、ともかく、一時の思いつきやひらめきで書く人ではない。徹底してきつき詰めた後での思いつきしか信用しない書き手だ。
一方で、いとうさんは
ヒップホップミュージックの地平も切り開き、DJ、テレビや舞台、笑い、仏像を見ること、植物を見ること、編集すること、その他私の知らない言葉の領域で活動をしてきた。小説とは、その中から出てきた表現形態の一つである。ヒップホップに疎い私はそれについてコメントする能力がないが、いとうさんのラップについてのインタビューを読んだときは鳥肌が立った。日本語の極北まで行った人なのだということを、痛感した。小説は詩的言語で成り立っているが、いとうさんは小説のベースとなる詩的言語を、ラップで開拓し尽くしているのだと感じた。そこで渉猟された日本語は、浄瑠璃や文楽や歌舞伎といった、今でも生きている伝統芸能の領域にまで及ぶ。伝統だろうが今生まれたものであろうが、生きて流通している言葉の可能性と限界を突き詰めたのである。
こういったところで見つけた文学を、いとうさんは小説として表した。それは、小説とは異ジャンルの人、例えば劇作家等が小説を書いてみるとか、小説家が他の表現者とコラボレーションするとかいった試みとは、根本的に異なる。なぜなら、いとうさんは小説を原理的に突き詰めてもいるから。特に、もう20年近くになるであろう文芸漫談は、その研究のなまなましい現場だ。
こうしていとうさんは、人が文学だと思っている輪郭を破り、見たこともない大きな文学を表した。しかもいとうさんの文学には、輪郭がない。さまざまな文学なるものが表現の形態としても内容としても取り入れられ、なおかつ輪郭は曖昧だ。きわめて風通しがよくて心地よい。
私はここに倫理を見る。まだその言葉の外側に文学なるものがあり、それが入ってくる余地があるから、閉じない、という倫理。その「外側にある文学なるもの」とは、読み手の側にもある。また読み手のほうも、自分の輪郭(無意識)を突破されうる。それは『想像ラジオ』の表す生死観そのもののあり方である。
このあり方は、文学とはかくかくしかじかなるものだと信じている人には、許しがたいかもしれない。あるいは恐怖を、あるいは軽蔑を感じるかもしれない。だからその人たちは境界をはっきりさせたがる。「読者の好きなように読んでほしい」と作家が言うのは、たいてい、境界を突破されることの恐怖をあらかじめ取り除くため自分へのまじないをかけているようなものである。だが、いとうさんの小説は、本当に境界が曖昧であることを存在理由としている。それが倫理である。この倫理が、日本語社会に豊穣さをもたらす。
私は、小説の存在意義は倫理にあると思っている。どれほど素晴らしい分析ができようと、倫理で逃げている作品は、今や存在する意味を失っていると私は感じている。いとう文学にはその倫理があるから、読む人の切実さに響き、その人の無意識に作用するのだと思う。その読み手の可能性を引き出すのだ。
『想像ラジオ』は、震災後の日本語の表現として、世界で読まれるべきだと私は思っている。この言葉なら、形式的な物語や紋切り型の表現を通さずに、ナマで伝わる。なぜなら、ここで書かれた言葉は、読む人個人の言葉を発動させて置き換わるから。私としては、何としてでもラテンアメリカで読まれてほしい。
私のいとう文学像は、
多分に私の文学観に引きつけられているだろう。でも、身勝手な像ではない。どこからどう見ても、これもまごうかたなきいとう作品の姿の一つなのだ。変な言い方だが、『想像ラジオ』を読んで、文学はどこにでもあり誰でもできる、ということを確信することができた。それは誰の生命、生き方も等価だということを意味する。
2012年3月11日(日) ― 2012-03-11
『ロンリー・ハーツ・キラー』韓国語版読者の皆様へ
2000年に行われた韓日文学シンポジウムに参加したとき、私はまだデビューから3年未満の新人作家でした。まだ自分の書いているものに自信が持てないでいました。
その自信を与えてくれたのは、韓国の作家・詩人たちです。シンポジウムで私の短篇小説を読んだ韓国側の参加者たちが、その作品について、熱く論評し、こういう作品をどんどん書いていきなさいと、肯定してくれたのです。
以来、私はさまざまな韓国の作家と交流してきました。語りあいながら、文学に対するきわめて誠実なその姿勢に、深く影響を受けてきました。今書き続けていられるのも、そうして出逢った韓国の作家・詩人たちのおかげだという思いを強く持っています。
その韓国で、私の最も思い入れの強い長編小説である『ロンリー・ハーツ・キラー』を翻訳出版していただけることに、今、非常な感慨を覚えています。
日本と韓国が抱えている共通の問題に、自殺があります。21世紀になるころから、日本も韓国も、世界でも有数の自殺大国となってしまいました。日本の場合は、13年連続で、毎年の自殺者が3万人を超えています。3万人という数は、3月11日に東日本を襲った大震災と津波で命を落とされた・行方不明になられた方々の数を上回っています。それほど多くの死に囲まれて生き続けるのは、つらいことです。
なぜこれほど多くの人が、自ら死を選択していくのでしょう?
私は今、「死を選択」と書きました。じつは、この表現自体に違和感を覚えます。自殺する人は、本当に自分の意思で死を選んでいるのだろうか?
自殺未遂者やご遺族の話などを知ると、ほとんどの自殺は、自ら望んだものなどではない、ということがはっきりします。何かに追いつめられて、もはや目の前には死しかないような状況になって、消耗しきって判断力を失い、死のほうへ転んでいくのが大半です。それは「自分で選択した死」などではなく、「選択させられた死」です。
では何に追いつめられていくのでしょう?
それを、きわめて抽象的な、無意識のレベルにまで降りていって探ったのが、『ロンリー・ハーツ・キラー』です。
日本も韓国も自殺者が多いということは、「人を死に追いつめる何か」について、共通したものがあるのではないでしょうか。私は、それがときに過剰なナショナリズムをあおり立てる力にもなるような気がしています。
私は、韓国社会の何が人を自死に追いつめるのかについて、同じ問題を抱えている日本社会に生きる人間として、自分の問題として考えたいと思っています。ですから、この小説を読んで、皆さんがどのように感じ、何を考えるか、気になっています。
いつか、そんなことを、この本を読んでくださった方々と話すのが、今の私の望みです。
2011年8月 星野智幸
(初出:金京媛・訳『ロンリー・ハーツ・キラー』
韓国語版、)
2011年5月19日(木) ― 2011-05-19
大江健三郎さんとの公開対談で、会場では話せなかったが、控え室でやりとりしていて興味深かったことを書いておく。
会場でも大江さんは引用されていたが、朝日新聞のインタビュー中に書かれていた、「ネット上のなりすましによって自分の居場所を奪われた」という加藤智大の言葉に、非常に関心を示された。そして、次のようなことをおっしゃられた。
ぼくの時代は、アイデンティティの喪失や、失われたアイデンティティの回復・探求というのが、文学の重要なテーマだったけれど、今ではアイデンティティではなくて、居場所なんだねえ。
じつは、私は今回の対談に当たって、少し大江さんの小説を読んでおこうと思って、『個人的な体験』『空の怪物アグイー』『沖縄ノート』を再読、未読だった『水死』を読んだ。そして、『個人的な体験』を読み直して、大江さんの感想と同様のことを思ったのである。
「個人的な体験」が書かれたのは、まだ政治の時代でもあった1960年代中ごろである。ある意味で日常のすべてが政治の言説に回収されてしまう(特に「知識人」としての作家の言動は)中で、その言説に還元しえないものとして、「個人的な体験」という言葉が、挑発的にも自嘲的にも表明される。そこでは、戦後の希望でもあると同時に、醜い現実でもある「個人」が、指向されている。そういうものを引き受ける主体としてのアイデンティティ確立が、目指されている。
けれど、私が現代に感じるのは、「個人的体験」の消滅である。「個人」自体が成立せず、目指されもしない中で、固有の体験は成り立ちようがない。個々人に固有のはずの体験は、交換可能な、誰が体験しても同じものでしかない、という認識が共有されているからだ。
「自己責任」という言葉が、それをよく示している。社会的政治的な構造の産物である経験までが、「自己責任」という言葉で、個人のせいにされる。本当は自分のせいではないことまで、それは「個人的な体験」なのだと言われてしまう。それはつまり、本当にプライベートなことの消滅を意味している。
『個人的な体験』では、主人公は自分の赤ん坊の問題で頭がいっぱいになり、それまで重大問題だった核実験の問題にまったく関心を示せなくなっている。自分が赤ん坊の問題に対して卑劣な態度を取るのは、核だとか冷戦だとかのせいではないのだ。そこで必要とされているのは、赤ん坊の問題を引き受ける主体であり、その主体が成立することが、核問題を自分のこととして考えることにつながる。それは個人の内面の問題だった。すなわち、アイデンティティの探求だった。
けれど現在の個人とは、内面の問題ではない。学校で例えれば、40人のクラスがあるとして、39人が教室内の空間を分割し、余ったひとり分のところが、自分なのである。誰もが、他の39人の領域にはならなかったところが自分、なのである。自分がその領域を占めることに、必然的な理由は何もない。たんにほかの39人が占めなかった、余った場所でしかない。そのようにして、40人分の領域が相対的に分担され、キャラクター付けされる。キャラクターとは、ただたんにそれぞれの領域に割り振られた番号(記号)にすぎない。だから交換可能だ。もし39人で教室空間がすべて分割されれば、残りの1人は居場所を失う。残りの1人になる可能性は、40人すべてに存在している。
つまり、自分である、ということ自体が、「個人的な体験」ではないのだ。他人でないから自分、というだけのこと。
にもかかわらず、社会の様々な責任が、「個人的な体験」として個々人に背負わされている。それが、現代の個人だと思う。そのような個人がアイデンティティをいくら探求しても、取り替え可能であることは変わらない。自分のアイデンティティを強靭にすることでは、交換可能性を乗り越えることはできないのだ。
大江さんがぽつんと漏らされた言葉は、そのような意味を含んでいたのだと、私は思っている。
会場でも大江さんは引用されていたが、朝日新聞のインタビュー中に書かれていた、「ネット上のなりすましによって自分の居場所を奪われた」という加藤智大の言葉に、非常に関心を示された。そして、次のようなことをおっしゃられた。
ぼくの時代は、アイデンティティの喪失や、失われたアイデンティティの回復・探求というのが、文学の重要なテーマだったけれど、今ではアイデンティティではなくて、居場所なんだねえ。
じつは、私は今回の対談に当たって、少し大江さんの小説を読んでおこうと思って、『個人的な体験』『空の怪物アグイー』『沖縄ノート』を再読、未読だった『水死』を読んだ。そして、『個人的な体験』を読み直して、大江さんの感想と同様のことを思ったのである。
「個人的な体験」が書かれたのは、まだ政治の時代でもあった1960年代中ごろである。ある意味で日常のすべてが政治の言説に回収されてしまう(特に「知識人」としての作家の言動は)中で、その言説に還元しえないものとして、「個人的な体験」という言葉が、挑発的にも自嘲的にも表明される。そこでは、戦後の希望でもあると同時に、醜い現実でもある「個人」が、指向されている。そういうものを引き受ける主体としてのアイデンティティ確立が、目指されている。
けれど、私が現代に感じるのは、「個人的体験」の消滅である。「個人」自体が成立せず、目指されもしない中で、固有の体験は成り立ちようがない。個々人に固有のはずの体験は、交換可能な、誰が体験しても同じものでしかない、という認識が共有されているからだ。
「自己責任」という言葉が、それをよく示している。社会的政治的な構造の産物である経験までが、「自己責任」という言葉で、個人のせいにされる。本当は自分のせいではないことまで、それは「個人的な体験」なのだと言われてしまう。それはつまり、本当にプライベートなことの消滅を意味している。
『個人的な体験』では、主人公は自分の赤ん坊の問題で頭がいっぱいになり、それまで重大問題だった核実験の問題にまったく関心を示せなくなっている。自分が赤ん坊の問題に対して卑劣な態度を取るのは、核だとか冷戦だとかのせいではないのだ。そこで必要とされているのは、赤ん坊の問題を引き受ける主体であり、その主体が成立することが、核問題を自分のこととして考えることにつながる。それは個人の内面の問題だった。すなわち、アイデンティティの探求だった。
けれど現在の個人とは、内面の問題ではない。学校で例えれば、40人のクラスがあるとして、39人が教室内の空間を分割し、余ったひとり分のところが、自分なのである。誰もが、他の39人の領域にはならなかったところが自分、なのである。自分がその領域を占めることに、必然的な理由は何もない。たんにほかの39人が占めなかった、余った場所でしかない。そのようにして、40人分の領域が相対的に分担され、キャラクター付けされる。キャラクターとは、ただたんにそれぞれの領域に割り振られた番号(記号)にすぎない。だから交換可能だ。もし39人で教室空間がすべて分割されれば、残りの1人は居場所を失う。残りの1人になる可能性は、40人すべてに存在している。
つまり、自分である、ということ自体が、「個人的な体験」ではないのだ。他人でないから自分、というだけのこと。
にもかかわらず、社会の様々な責任が、「個人的な体験」として個々人に背負わされている。それが、現代の個人だと思う。そのような個人がアイデンティティをいくら探求しても、取り替え可能であることは変わらない。自分のアイデンティティを強靭にすることでは、交換可能性を乗り越えることはできないのだ。
大江さんがぽつんと漏らされた言葉は、そのような意味を含んでいたのだと、私は思っている。