2012年3月11日(日)2012-03-11

『ロンリー・ハーツ・キラー』韓国語版読者の皆様へ

 2000年に行われた韓日文学シンポジウムに参加したとき、私はまだデビューから3年未満の新人作家でした。まだ自分の書いているものに自信が持てないでいました。
 その自信を与えてくれたのは、韓国の作家・詩人たちです。シンポジウムで私の短篇小説を読んだ韓国側の参加者たちが、その作品について、熱く論評し、こういう作品をどんどん書いていきなさいと、肯定してくれたのです。
 以来、私はさまざまな韓国の作家と交流してきました。語りあいながら、文学に対するきわめて誠実なその姿勢に、深く影響を受けてきました。今書き続けていられるのも、そうして出逢った韓国の作家・詩人たちのおかげだという思いを強く持っています。
 その韓国で、私の最も思い入れの強い長編小説である『ロンリー・ハーツ・キラー』を翻訳出版していただけることに、今、非常な感慨を覚えています。

 日本と韓国が抱えている共通の問題に、自殺があります。21世紀になるころから、日本も韓国も、世界でも有数の自殺大国となってしまいました。日本の場合は、13年連続で、毎年の自殺者が3万人を超えています。3万人という数は、3月11日に東日本を襲った大震災と津波で命を落とされた・行方不明になられた方々の数を上回っています。それほど多くの死に囲まれて生き続けるのは、つらいことです。
 なぜこれほど多くの人が、自ら死を選択していくのでしょう?
 私は今、「死を選択」と書きました。じつは、この表現自体に違和感を覚えます。自殺する人は、本当に自分の意思で死を選んでいるのだろうか?
 自殺未遂者やご遺族の話などを知ると、ほとんどの自殺は、自ら望んだものなどではない、ということがはっきりします。何かに追いつめられて、もはや目の前には死しかないような状況になって、消耗しきって判断力を失い、死のほうへ転んでいくのが大半です。それは「自分で選択した死」などではなく、「選択させられた死」です。
 では何に追いつめられていくのでしょう?
 それを、きわめて抽象的な、無意識のレベルにまで降りていって探ったのが、『ロンリー・ハーツ・キラー』です。
 日本も韓国も自殺者が多いということは、「人を死に追いつめる何か」について、共通したものがあるのではないでしょうか。私は、それがときに過剰なナショナリズムをあおり立てる力にもなるような気がしています。
 私は、韓国社会の何が人を自死に追いつめるのかについて、同じ問題を抱えている日本社会に生きる人間として、自分の問題として考えたいと思っています。ですから、この小説を読んで、皆さんがどのように感じ、何を考えるか、気になっています。
 いつか、そんなことを、この本を読んでくださった方々と話すのが、今の私の望みです。

            2011年8月  星野智幸
(初出:金京媛・訳『ロンリー・ハーツ・キラー』 韓国語版、)

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