照ノ富士への差別ヤジ2017-03-27

 昨日の照ノ富士対琴奨菊戦で激しいブーイングが飛び、次の取り組みである日馬富士が「聞いたこともない、すごい言葉」が聞こえ、「相撲を取るどころじゃなかった。集中してるけど耳に入ってしまう」と苦言を呈した事件。そのえげつないブーイングとは、「モンゴルに帰れ」という差別発言だった。これをスポーツ報知が見出しにとり、「照ノ富士、変化で王手も大ブーイング!『モンゴル帰れ』」と報じたのだ。
 この記事を目にしたとたん、目から火が出て頭が爆発しそうなほど、私は怒りにとらわれた。この事態は幾重にも差別の野放し事件として、問題がある。
 まず、「〇〇へ帰れ」は「ヘイトスピーチ対策法」が禁じるヘイトスピーチ、つまり差別の言葉だと、法務省が規定している。何がヘイトスピーチに当たるかについて、法務省は「①命や身体、財産に危害を加えるように告げる②著しく侮蔑する③地域社会からの排除をあおる――ことなどを「不当な差別的言動」として挙げて」おり、「③の「地域社会からの排除をあおる言動」は、「○○人はこの町から出て行け」「○○人は祖国へ帰れ」などが当たる」と説明している(朝日新聞2017年2月6日付朝刊)。つまりこのヤジは、違法な差別行為なのである。
「差別意識はなかった」などという言い訳がよく見られるが、差別の認定は、言われたほうの傷を基準に考えられている。暴力を振るったほうの言い分より、振るわれたほうの言い分を重視するのは、あらゆる暴行に対して当然の姿勢である。なぜなら、振るった側のほうが常に力が強いのだから、振るった側は暴力だと感じずに暴力を振るうことはしばしば起こるからだ。なので、差別の言葉も、意識のあるなしではなく、何が差別に当たるか、これまで蓄積されてきた基準で判断するべきなのだ。だから、差別の基準は、広く知らせる必要があるし、学ぶ必要がある。世界のスポーツはそれを共通の基準として理解し、差別の起こらないよう対策を取り続けている。
 さらに問題なのは、スポーツ報知がその違法な差別行為に加担するような報道をしたことである。この文言を問題視するための記事ではなく、このヤジに乗る形で照ノ富士を批判する記事である。このヤジを違法な差別だと認識していないから、安易に利用して見出しに取ったのだろう。
 この記事が出てから、さまざまなレベルで、この事件と記事が差別であることを批判する声が巻き起こった。さすがに事態の重大さに気づいたスポーツ報知は、「26日付の紙面およびスポーツ報知HPで掲載した大関・照ノ富士関の記事と見出しで、観客のヤジを記述した部分に、ヘイトスピーチを想 起させる表現がありました。人権上の配慮が足りず、不快な思いをされた皆様におわびし ます」という謝罪の言葉とともに、見出しを修正した。本当は「ヘイトスピーチを想起させる」ではなく「ヘイトスピーチに当たる」と書くべきであり、まだ逃げを打っているのだが、それでもこの対応はまずは評価してよいだろう。
 残る問題は、自らの主催する競技の会場で差別があったことに、日本相撲協会がどう対応するか、である。
 これがサッカーのJリーグで起こったら、間違いなくその観客は特定され、無期限の入場禁止処分が科せられるだろう。加えてクラブ側にも厳しい処置が降りるだろう。浦和レッズの「Japanes Only」事件では、無観客試合が科された。主催者には、その会場内での暴力を防止する責任がある。
 だが、相撲では、何も起こらない。それを究明して防止策をとることもない。BuzzFeed Newsによると、
「当の日本相撲協会は今回の差別発言問題をどう捉えているのか。
 3月29日、BuzzFeed Newsの取材に応じた協会の広報担当者は「お客様がどのような発言 をしたのか、実際の音声を確認していないのでそれ以上は申し上げられない」と答えた。
 確認するかどうかにもついては「確認する方法がない」。
 差別発言に対して注意喚起をするのか尋ねると、「(観客は)相撲協会の ホームページ に ある観戦に関する規約を守ってほしい」と話す。
 差別発言に限った注意喚起をする予定はこの時点ではない。」
 世界中から観客が来て、世界各地から力士が入門している競技なのに、このありさまである。これでは、「日本人」力士応援のために差別はしてください、と奨励しているようなものだ。
 何度も書いてきたとおり、今の本場所の館内には、聞くに耐えない差別的声援がたくさん飛んでいる。場所を追い、ブームが高じるほどに、その声援も増えて濃くなっていく。それは、そのことが差別であり、観戦のルール上してはいけない行為なのだ、と誰も教えないからだ。いつの間にか、誰もがしている普通の応援が、そのまま差別になっていても、気づかないのだ。
 土俵上にいる力士たちには、観客の声ははっきり聞こえてくるという。最近の日本人に偏った差別的な応援も、日本出身ではない力士たちには聞こえているだろう。それでも淡々と気にせずに取ってきたけれど、今度の件は日馬富士が相撲を取れなくなるほど、モンゴル力士の心を傷つけるものだった。同じモンゴル人として、また照ノ富士の兄弟子として、もう看過できないと思った日馬富士は、あえて注意したのだろう。その真意を、メディアはきちんと伝えたのだろうか。相撲協会は心に留めたのだろうか。
 私は、自分の愛する相撲に、日本社会の差別文化をリードなどしてほしくない。なのに、そうなるばかりである。やりきれない怒りと悲しみを感じる。

稀勢の優勝2017-03-26

 左からの攻めを封じて右のみで相撲を取って、稀勢の里が優勝した。しかも、本割、決定戦と照ノ富士に連勝して。そのこと自体はすごいことだし、価値ある優勝だと思う。今場所の優勝の価値が下がってしまいそうになっていたけれど、それを取り戻しての優勝だし、怪我する前の12日間、優勝に値する横綱相撲を取り続けてきたのだから、文句なしである。ただし、本割での突き落としの際、稀勢の里は照ノ富士のマゲを思いきり掴んで引きずり落としている。本来なら反則負けを取られてもおかしくないが、昨日の照ノ富士の卑怯な勝ちがこれで相殺されたということで、見なかったことにする。
 ただ、もうこんなことは起こらないでほしい。怪我を押して、力士生命を失うことを賭けての優勝が称揚されることは、少しも喜ばしくない。稀勢の里の怪我が致命傷でなくて、また元通りの相撲が取れるようになることを祈るのみだ。
 照ノ富士も、あんな無理な相撲を取り続けた結果、また膝の傷を悪化させた。今日の相撲では、膝が負荷に対してまったく耐えられなかった。こんな相撲を繰り返していたら、一時的に復活しても、すぐに力士生命の終わりが来る。負担を減らす相撲を覚える努力をしてほしい。怪我人決戦はもう見たくない。

無意識のモンゴル人力士叩き2017-03-26

 大阪場所はダイジェストで見ており、生中継での館内の様子はあまりきちんと見ているわけではないので、これはあくまで印象に過ぎないのだが、気になるので書いておく。
 14日目、ご当地場所である兵庫県出身の実力者、妙義龍は、7敗ともう後がない。14枚目だから、負け越せば十両に陥落する可能性も出てくる。対戦相手は、このところ力をつけて来た千代翔馬。勝負はあっけなく決まった。立ち合いから千代翔馬に突き落とし気味のいなしを食らったら、自分からバランスを崩すようにして土俵に崩れ落ちた。傷めている膝が堪えられないのだろう。
 異様だったのは、この時の館内だ。妙義龍の呆気ない敗戦と負け越し決定にがっかりし、ため息をつくのはわかる。だが、館内はシーンと静まり返ったまま、千代翔馬が勝ち名乗りを受けても拍手もないというのは、おかしくないか。
 千代翔馬は普通に相撲を取っただけで、非難されるような卑怯な手を使ったわけでもない。どちかというと、妙義龍の自滅気味の敗戦だった。にもかかわらず、千代翔馬を無視している。
 こんな館内の空気は私はほとんど味わったことはない。勝ち力士に拍手するのは、プロ力士への礼儀だ。誰も千代翔馬を応援していないだけでなく、ご当地力士を負け越しに追い込んだ相手を無視する。こんなことは大相撲では起こらなかった。
 13日目の横綱対決では、日馬富士が会心中の会心の相撲で稀勢の里を秒殺。しかし稀勢の里が肩に大きな怪我を負ったがために、ネット上では日馬富士を罵りバッシングする言葉があふれた。これにはさすがに稀勢の里ファンが怒っていた。
 14日目、照ノ富士対琴奨菊という、優勝を占う一番。琴奨菊はこれに負けると大関復帰が絶たれる。稀勢の里が怪我をした今、照ノ富士はこの一番に勝つと限りなく優勝に近づく。そんな大一番で、照ノ富士はなんと立ち合いに変化するという、期待を裏切る相撲で勝った。私もがっかりしたし、頭に来た。大阪体育館に足を運んだお客さんはなおさらだろう。ブーイングが飛んでも仕方はない。
 しかし、問題はその後、次の取り組みの日馬富士と玉鷲が土俵に上がっても、まだ罵声を放ち続けている人が大勢いたことだ。経験豊かな日馬富士が「あんなブーイングは初めて」「聞いたこともない、すごい言葉で言ってきた」と驚くほどのえげつない罵声が飛び交った。そして、日馬富士は集中を乱され、負けてしまう。「相撲を取るどころじゃなかった。集中してるけど耳に入ってしまう。次の一番に集中してる人のことも考えてほしい。大けがにもつながるから」(日刊スポーツ)と述べざるをえない事態だった。
 照ノ富士の相撲は批判されて然るべきものだが、館内で起きたことは、それをはるかに超えるものだった。私は、相撲観戦の名を借りた憂さ晴らしであり、相撲を成り立たなくさせうる「荒らし」みたいな行為だと思う。
 妙義龍と千代翔馬、稀勢の里と日馬富士、琴奨菊と照ノ富士、いずれもモンゴル人力士が、相撲観戦のマナーを踏みこえる形で観客から敵意をぶつけられている。おそらく、対戦相手がモンゴル勢でなければ、ここまで行き過ぎた事態にはならないだろう。モンゴル勢なら不満をいくらでもぶつけていい、鬱憤を晴らす相手にしてよい、そんな無意識が働いていないだろうか。それを排外的な差別感情の発露ではないと言えるだろうか。そのような観戦の仕方をしている人に聞けば、モンゴル力士を差別してなどいない、と言うだろう。けれど、差別とは無意識に出てくるものなのだ。
 醜い、「日本出身力士ファースト」の意識が、この差別を育てている。土俵上で起こることは、この社会でも起こる。先場所で、もう引き返せる地点は過ぎてしまった。

 それと14日目の、豪風対蒼国来戦の判定について。蒼国来は豪風のいなしに泳いだが、土俵際ギリギリで残り、向き直って両者また攻防を始めたところで、東方の田子ノ浦審判が手を挙げ、蒼国来の足が出ていたとして勝負を終わらせた。だが、ビデオで見返すかぎり、蒼国来の足は出ていない。蛇の目の砂に、足の跡はまったくついていない。蒼国来が足の指は土俵の外についていないと強く主張してるのを見ても、誤審の可能性が高いと思う。豪風も同意しているという話も聞く。
 この疑わしい判定がさして問題にもならずにスルーされたのは、田子ノ浦親方が稀勢の里の師匠だからではないか。稀勢が出場すべきかどうかについて、正直なところ、田子ノ浦親方は状況をコントロールできていない印象を受ける。稀勢は出場を、自分だけで決めて、貫いている。もちろん、力士がどうしても出るといえば親方にも止めようはないが、それ以前に相談さえされているかどうか。そのような状況にあって、田子ノ浦親方が誤審をしたとなると、批判が田子ノ浦親方に集中しかねない。それで、NHKも本当はいくつもの角度の映像から検証できるはずなのに、そうはせず、田子ノ浦親方が足が出ているというのだから出ているということでしょう、で終わらせて、この問題を封じてしまった。私にはそのように映った。
 攻防のあるとてもいい相撲だったのに、こんな判定はあんまりである。いい加減にしろと言いたい。

稀勢の里と照ノ富士の怪我について2017-03-25

 稀勢の里、左肩の怪我を押して、今日14日目も強行出場するという。
 貴乃花になぞらえる人もいるけれど、私はあまりいいことだとは思わない。貴乃花ファンだった私は、今でもあの武蔵丸との相撲を見返すたびに胸が苦しくなる。あれで貴乃花の相撲人生が終わったからだ。歴史に残る優勝だとは思うけれど、ファンとしてはあんなことはなくてもよかった。あのとき休場して、もっと多くの優勝争いを見られたほうが、ずっと幸せだった。
 稀勢の里にはこれから充実した横綱人生が待っているのだから、無理をしてほしくはない。それでも出場してしまうのは、今の稀勢の里ブームで背負っているとてつもない期待に応えたいという使命感と、やはり優勝したい気持ちだろう。2場所連続優勝とは程遠い基準で横綱に昇進したので、本人としても2場所連続で優勝し、かつ横綱として優勝することで、横綱にふさわしいことを証明したい気持ちがあるのかもしれない。
 同じく優勝を争う照ノ富士も、2年前に終盤戦で同じように大怪我を負い、しかし優勝争いトップだったために、強行出場した。星は落としたものの、鶴竜と優勝決定戦となり、負けた。そして怪我が長引き、今場所の復調まで、約2年近くかかった。因果関係はわからないが、私はこのとき無理に出場しなければ、もう少し怪我は軽く済んだのではないかと思っている。けれど、横綱大関陣の相次ぐ休場で大関としての責任を感じていたことと、優勝のチャンスを逃したくない気持ちとで、強行出場した。照ノ富士が今場所優勝すれば、あの時点でおあずけになった優勝を取り戻した気分だろう。
 稀勢の里はもう若くはないのだし、怪我のないことが強みの一つであった白鵬も、30歳になって一度怪我をしてからは怪我の連続である。実際には長い間の負荷が溜まって、満身創痍なのだ。稀勢だってそうならないとは限らない。
 照ノ富士は、かつてのスケールの大きな相撲が戻って、とんでもなく強く見えるが、これもファンとしては、苦々しい思いで見ている。あの相撲が照ノ富士の魅力であることは間違いないが、身体中の関節に多大な負担をかけるから、長くはもたない。まして体重と上背のある照ノ富士は、そのうち膝が体を支えられなくなるだろう。本当は、怪我で苦しんでいるうちに、立ち合いの鋭い、緻密で負担の少ない相撲を覚えてほしかった。怪我は、相撲を変えるチャンスだった。そうなれば、復調したらすぐ横綱になれるし、長持ちもするだろう。今の相撲では、またいつか致命的な大怪我をする。怪我を生かせなかったことが残念だ。

 14日目の取組後、追記。
 案の定、稀勢の里は左肩がまったく動かず、痛みを我慢しているような状態のため、相撲にならなかった。相撲にならない姿を見せるのは、プロとしては責任を果たしているとはいえない。休むという判断ができることも、プロの、横綱の使命の1つだと思う。
 私は、このような、怪我を押して我慢する姿を見せることが美談になることに、非常な違和感を抱いている。それは特攻精神みたいなものに近似している。出場している本人にそんな意識はないだろうが、これを美談として礼賛する側は、後先考えない玉砕に感動するメンタリティを育ててしまうことになる。
 しかし、それで優勝の可能性が高くなった照ノ富士もいただけない。大関復帰が絶たれるかもしれない琴奨菊との一番に、立ち合いでの変化。これから上を目指す力士のすることか。膝の具合がまた悪くなっているという話もある。心配したとおりだ。
 何だか優勝に価値のない場所になってしまった。

しょうもない愚痴2017-03-09

 仕事大渋滞中。原因は、とっくに完成しているはずの小説が未だに書き終えられないという事故のため。終わる予定で仕事をいろいろ入れていたので、身動きできないでいる。正月が終わってから少しずつ渋滞が始まって、今完全にストップしている。自分にとって未知の新しい文学を作ろうとしているところなので、予定どおりいかないのは当然なのだけど。
 私は風船を膨らませて、その中に閉じ篭って書くタイプ。風船の中が小説世界そのもので、私はそこにいて書いている。宅配便が来たり電話が来たり、メールで事務的な返信をしたり、食事の用意をしたり、洗濯物を取り込んだりといったことは、風船を針で突くような出来事で、風船はすぐに割れてしまう。また一から風船を膨らませるのに、時間と集中力を必要とするので、昼間の執筆はとても効率が悪い。いきおい、夜中にずれていく。すると夜型になる。
 喫茶店や楽屋で書けるとか、家庭内の喧嘩から逃れて風呂場で書いたナボコフ(だったけかな?)だとか、そんなことができればもっといいのにと思うが、現状ではこのスタイルでないと満足のできるレベルに仕上がらない。例えば、自分がメキシコに亡命して、経済的にももっと逼迫していて、環境なんて選べずに書くしかないという状態なら、そんな中でも書けるようになるんじゃないか、とも思い、そんな自分のつもりで書こうともするのだけと、シミュレーション程度では自分が騙されない。
 運動不足になるし、ストレスで際限なく間食してしまうし、早く終えたい。