2013年1月28日(月)2013-01-28

 自分への防備録として、相撲の話。
 高見盛が引退した。私の相撲ファン歴の末期に、安美錦とともに頭角を現してきた異能力士だった。この二人は、相撲の奥深さを広げてくれ、相撲を見ていることが幸福に感じられる力士だった(安美錦はまだ現役)。
 高見盛はいわば角界の岡本太郎だった。相撲は爆発だった。白鵬の「稽古場では弱いのに、本番では何でこんなに強いのかなと思っていた。勝負に対する考え方が賢いのだと思う」と、白鵬らしい賢い解説にあるように、現場に強かった。
 安美錦は登場したころ、がりがりに痩せていて、見るからに弱そうだった。しかし、師匠・旭富士を思わせる体の柔らかさ、相撲のうまさ、センスのよさが光っていた。こういう力士好みの私としては、大関まで行ってほしかった。(まだチャンスはある!)
 私が相撲ファンを辞めたのは、貴乃花が引退したときである。双葉山、大鵬以降、本物の横綱だった。曙や武蔵丸といった超大型力士時代でなければ、無理して体重を増やそうとせずにすみ、もう少し現役時代も長かったかもしれない。記録ももっと築けたかもしれない。全盛期の貴乃花対白鵬なんて、想像するだけで鳥肌が立つ。
 私は熱烈な相撲ファンだったけれど、しごきはむろん、八百長もあると思っていた。貴乃花は相撲界のその二大悪習と距離を置いていた。貴乃花引退後、角界を揺るがし、没落させていく二大悪習である。かつてはそれが通用しても、現代は通用しなくなったということだ。その意味で貴乃花は、はからずも相撲の現代化に寄与しようとしていたと言える。
 しごきについては、師匠の父・貴ノ花(藤島親方、のちに二子山親方)がしごきをしない方針だったという。貴ノ花は現役時代、兄(初代若乃花)の二子山部屋で鍛えられたのだが、実の弟だから優遇していると思われては示しがつかないということで、逆に激しいしごきにあったという。その記憶から、藤島部屋ではしごきを排除したという。まあ、伝説の部分もあるかもしれないし、いまの貴乃花部屋がどうかは知らない。
 高見盛は、思い出の一番として、負けた相撲としては貴乃花との一番を挙げている。思い出の一番と聞かれて、負けた相撲も答えるというところが、この人らしい。(勝った思い出では、朝青龍との一番。)
 白鵬は、双葉山、大鵬を尊敬し、日馬富士は初代貴乃花を尊敬、それぞれ非常に研究熱心である。自壊していきつつあった角界を支えているのは、このような「同じではない反復」の意識を持つ力士たちであろう。

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