2012年3月11日(日)2012-03-11

change of role

 震災や原発事故について、それが小説の言葉となるにはまだまだ時間がかかる、なぜなら小説は最も遅れる表現媒体で、対症療法的なメディアではないからだ、と、作家の多くは実感していることだろう。自らがある種、失語症的な状態に陥っているのを、もどかしく感じている人も少なくないだろう。そのように語っている言葉もたくさん目にした。それは9.11のときもそうだったし、地下鉄サリン事件のときもそうだったし、湾岸戦争のときもそうだった。
 にもかかわらず、小説自体は書かれている。文学業界の光景が一変することもない。一見、何もなかったかのようにそれ以前と同じ調子で小説は書かれ、たまにいち早く震災・原発事故を扱っている作品が現れても、それは本質的に震災・原発事故を扱っているというより、視界に入ったものが映ってしまったというような感じだ。
 かくいう私自身、震災前から準備していた長篇を、震災の少し後に連載としてスタートさせた。震災を受けて書き換えたり、テーマや内容を変更したりもしていない。震災直後は心が乱れて書けなくなったが、締切に追われて、自分でも意外なほど早く、執筆は再開できた。あたかも何ごともなかったかのように、連載は始まった。
 けれど私は自分がやはり言葉を書けないでいると感じている。それまで私は、社会的、政治的テーマについて、自分の考えや感情を主にネットを通してできるだけ書くようにしてきた。個人として社会的な態度を言葉で表明し続けることは、言論が消費財化していく世の中で重要だと思ってきたからだ。
 震災からしばらくは、それまでどおりツイッターで盛んに書いた。けれども、ひと月、ふた月とたつうち、言葉を発するのが難しくなっていった。
 最大の理由は、原発のことを始めとして、何かを語れば、どこかの立場に与してしまうことだった。どこかの立場に与すれば、そうでない立場を攻撃することになってしまう。自分にはその気はないのに、自分の言葉は何らかの立場に回収され、その立場の威力を増すことに荷担する。
 震災の前も、事情は同じだった。発言をする、言葉を表明するとは、そのような関係性に巻き込まれることの責任を引き受けることだからだ。震災後に変わったのは、私がその責任を引き受けられないと感じ始めた点である。
 もうたくさんなのだ。言論が、現実から離陸し、現実を脅かさない領域で力関係を作り上げ、白熱していくことは。そのような言葉のあり方が原発事故の起こるこの社会を作った、という後悔が私から言葉を奪う。
 言論は、真に必要とするべき言葉を締め出してきたような気がする。例えば原発の件であれば、なぜ原発を誘致する土地がこれほど存在し、その土地の人たちがどんな気持ちで生活しているのか、知らないままでいた。原発事故で顕在化したのは、そのような人たちの存在だ。そして、そのような人たちが私と無縁ではないことが、目をそらせないほどに明らかになった。
 今は、自分が語るときではない。深く関係していたのに知らないつもりでいた声を、聞くべきときなのだ。むろん、精緻に報道し、分析し、告発する言論は、これまで以上に必要だ。けれど、同時に、言論を発することができる者は、もっと耳を澄まし、目をこらし、五感を世にさらすべきときでもある。さもないと、対立構造を作り出して怒りをぶつけることで自らの不満を晴らすだけに終わってしまう。そしてそれは、これまでも繰り返されてきた、言論の消費財化だ。
 このところ、change of roleという言葉が頭を離れない。二〇〇五年に山形でインドの作家と交流したとき、劇作家のマヘーシュ・ダッターニが何度も口にした言葉だ。「役割の交換」ということだが、マヘーシュは作品の中で9.11後のイスラムとヒンディーが対立するインド社会を反映させ、宗教、カースト、性差、経済格差といった差異に分断された者たちが、はからずも自分とは違うはずの立場に置かれることで、絶対的だと思っていた差異に理由がないことを知っていく、という過程を描いた。
 言葉を発する側と受けるだけの側という役割を、交替するときなのだ。単に声を聞くだけではない。この場合の役割の交換は、言論を持つ者が現地の言葉を聞いてやる、という現在の力関係を維持したようなものではあり得ず、言論を持つ者が言論を手放して、自らの無力さをさらして言葉が発せられるのを待つ、という、力関係までもが交換されたものでなければならない。そのことで、これまで言論を作ってきた者たちの言語が、組み変わる必要がある。そして、小説もそのような言語を求めている。

(初出:すばる2012年1月号)

コメント

トラックバック