2011年7月28日(木) ― 2011-07-28
あさって30日の土曜日は、ライフリンク主催のトークイベント『メメント・モリ』に出演する。すでにチケットは売り切れているが、インターネットで生中継(ニコニコ生放送)されるとのこと。
同じく出演されるのは、『困ってるひと』で多くの人の心を揺さぶっている作家の大野更紗さん @wsary 。あさってを控えて、大野更紗さんのことを書いておきたい。
私が大野さんを知ったのは、昨年の春ごろ。ドキュメンタリー映画『ビルマVJ』を見て、ツイッター上で「ビルマ情報ネットワーク」 @BurmaInfoJapan をフォローして読んでいたところ、大野さんのつぶやきがリツイートされていたのだった。当時はまだ本名で書かれていていた。それで大野さんの他のつぶやきも読み始めたところ、夢中になってすべてのつぶやきを読んでしまったのだった。大野さんはまだ入院していらして、ご自身の病状や病院での日常を、ずっと関わってきたビルマについてのつぶやきとともに、詳細に書き記していた。そのリアリティたるや、まるで読んでいる私が入院生活を送っている感覚に陥るほど。(大野さんの過去のつぶやきはtwilogで読めます。)
私が魅了されたのは、その言葉だった。素晴らしい言語感覚で、置かれている日常の細部を記述し尽くそうとするものだから、私はその言葉に飲み込まれてしまった。大野さんがどんな病気なのかもよくわからないのに、心身を縛る一秒一秒の感覚が、こちらの感覚に迫ってくる。これまで想像したこともない、難病者のリアリティに初めて触れた瞬間だった。むろん、本当に理解し自分の感覚とすることはできない。ただ、言葉の力に喚起されて想像力のスイッチが入り、ほんのさわりを体験しただけだ。それでも、そこが、自分の頭では届かない他人に触れるための、よすがなのだ。
そのころの大野さんの文体は、今とはまた違っていた。私はあの文体が好きだった。大野さんの言葉は、本質的に詩だと、私は思っている。言葉で書き表せないことを、言葉が含んでいるからだ。
さらに、大野さんは他の難病の方々と、ツイッター上でやりとりをされていた。私はその方々のツイートも読むようになった。同じような難病者であっても、もちろん人それぞれで、さまざまな考え方や、日常の記し方があった。いずれも私が知らなかった日常であるが、複数の難病の方の日常を読み続けているうち、それが普通に存在しているこの社会の日常の一部として感じられるようになっていった。これは自分としては劇的な出来事である。自分がその中で生きている日本の社会を考えたり想像したりするとき、常にそのような立場の人の存在も頭に入ってくるようになったのだから。
それからほどなくして、大野さんは退院された。その経緯は『困ってるひと』に詳しい。余談だが、私には車椅子の障害者の叔父がいたが、その叔父が、病院や施設ではなく、地域社会に入って自分で生きることにものすごくこだわっていた。選択肢を持つこと、それを自分で選ぶこと、それが自分の意思を持つことにつながること、そのことに強いこだわりを持ち続け、そういう社会を作ることに、八王子で執念を燃やしてきた。
大野さんは、退院されてからも、退院後の日常生活の細部を、ものすごい勢いで書き続けられた。日々の食事、読んだもの、見た映画、病院とのやりとり、薬の仕分け、ヘルパーさんのこと、車椅子申請の気の遠くなるような手続き……。それらが、難病者として一人で生きることの感触を、つぶさに伝えてくる。中でも私が印象的だったのは、大野さんのご両親が送ってくる野菜だった。大野さんのお母さんが、収穫した野菜に手書きでメッセージを添えている写真には、胸を衝かれた。大野さんにこれだけの気持ちの強さがあるのは、こんなご両親に囲まれて育ったという環境もあるのだなあ、と感じた。だから、原発の事故があったときに私が想起した人々の中には、大野さんのご両親のこともあった。
そして、『困ってるひと』の連載開始である。あれだけの言葉の書き手なのだから、何かまとまったものを書いてほしいと思っていたし、懇意の編集者も大変に関心を示していたから、やがては……なんて私も考えたりしていた。そうしたら連載が始まったので、待ってましたという気分である。
そこでようやく、私も大野さんの病や置かれている実情の全体像を知ったのだった。大野さんはそれを、それまでのツイッターでの文体とはまるで違った文体で書き始めた。これにも度肝を抜かれた。何という多彩な言葉の使い手。この本について感じたこと学んだこと得たことは限りないが、中でも私にとって強烈だったのは、4章である。ここで書かれていないことに、読みながら言葉を失った。そして、病院の先生たちのやりとりから焦点を結んでくる、医療の文化の問題。大野さんが現在、生存を賭けて最も戦っていることである。
『困ってるひと』から読み手は間違いなく力をもらうだろう。そのもらった力を、今度は少しお返ししようではないか。大野さんは、表現者として、全身全霊で「難病者」というカテゴリーを作り、自分の身をさらすことで認知させている。「難病者」は私たちの生きる社会のあちらこちらで生活を送っているし、何よりも、私たちは全員が難病者予備軍である。生きているかぎり、難病になる可能性は誰でもいつでもはらんでいる。だから、難病者が社会からこぼれ落ちずに生きられるように、そのような制度が可能になるように、難病者の存在を常に意識のどこかに置いておくよう、『困っているひと』を読んで得た力を少しそちらへ振り分けようではないか。
同じく出演されるのは、『困ってるひと』で多くの人の心を揺さぶっている作家の大野更紗さん @wsary 。あさってを控えて、大野更紗さんのことを書いておきたい。
私が大野さんを知ったのは、昨年の春ごろ。ドキュメンタリー映画『ビルマVJ』を見て、ツイッター上で「ビルマ情報ネットワーク」 @BurmaInfoJapan をフォローして読んでいたところ、大野さんのつぶやきがリツイートされていたのだった。当時はまだ本名で書かれていていた。それで大野さんの他のつぶやきも読み始めたところ、夢中になってすべてのつぶやきを読んでしまったのだった。大野さんはまだ入院していらして、ご自身の病状や病院での日常を、ずっと関わってきたビルマについてのつぶやきとともに、詳細に書き記していた。そのリアリティたるや、まるで読んでいる私が入院生活を送っている感覚に陥るほど。(大野さんの過去のつぶやきはtwilogで読めます。)
私が魅了されたのは、その言葉だった。素晴らしい言語感覚で、置かれている日常の細部を記述し尽くそうとするものだから、私はその言葉に飲み込まれてしまった。大野さんがどんな病気なのかもよくわからないのに、心身を縛る一秒一秒の感覚が、こちらの感覚に迫ってくる。これまで想像したこともない、難病者のリアリティに初めて触れた瞬間だった。むろん、本当に理解し自分の感覚とすることはできない。ただ、言葉の力に喚起されて想像力のスイッチが入り、ほんのさわりを体験しただけだ。それでも、そこが、自分の頭では届かない他人に触れるための、よすがなのだ。
そのころの大野さんの文体は、今とはまた違っていた。私はあの文体が好きだった。大野さんの言葉は、本質的に詩だと、私は思っている。言葉で書き表せないことを、言葉が含んでいるからだ。
さらに、大野さんは他の難病の方々と、ツイッター上でやりとりをされていた。私はその方々のツイートも読むようになった。同じような難病者であっても、もちろん人それぞれで、さまざまな考え方や、日常の記し方があった。いずれも私が知らなかった日常であるが、複数の難病の方の日常を読み続けているうち、それが普通に存在しているこの社会の日常の一部として感じられるようになっていった。これは自分としては劇的な出来事である。自分がその中で生きている日本の社会を考えたり想像したりするとき、常にそのような立場の人の存在も頭に入ってくるようになったのだから。
それからほどなくして、大野さんは退院された。その経緯は『困ってるひと』に詳しい。余談だが、私には車椅子の障害者の叔父がいたが、その叔父が、病院や施設ではなく、地域社会に入って自分で生きることにものすごくこだわっていた。選択肢を持つこと、それを自分で選ぶこと、それが自分の意思を持つことにつながること、そのことに強いこだわりを持ち続け、そういう社会を作ることに、八王子で執念を燃やしてきた。
大野さんは、退院されてからも、退院後の日常生活の細部を、ものすごい勢いで書き続けられた。日々の食事、読んだもの、見た映画、病院とのやりとり、薬の仕分け、ヘルパーさんのこと、車椅子申請の気の遠くなるような手続き……。それらが、難病者として一人で生きることの感触を、つぶさに伝えてくる。中でも私が印象的だったのは、大野さんのご両親が送ってくる野菜だった。大野さんのお母さんが、収穫した野菜に手書きでメッセージを添えている写真には、胸を衝かれた。大野さんにこれだけの気持ちの強さがあるのは、こんなご両親に囲まれて育ったという環境もあるのだなあ、と感じた。だから、原発の事故があったときに私が想起した人々の中には、大野さんのご両親のこともあった。
そして、『困ってるひと』の連載開始である。あれだけの言葉の書き手なのだから、何かまとまったものを書いてほしいと思っていたし、懇意の編集者も大変に関心を示していたから、やがては……なんて私も考えたりしていた。そうしたら連載が始まったので、待ってましたという気分である。
そこでようやく、私も大野さんの病や置かれている実情の全体像を知ったのだった。大野さんはそれを、それまでのツイッターでの文体とはまるで違った文体で書き始めた。これにも度肝を抜かれた。何という多彩な言葉の使い手。この本について感じたこと学んだこと得たことは限りないが、中でも私にとって強烈だったのは、4章である。ここで書かれていないことに、読みながら言葉を失った。そして、病院の先生たちのやりとりから焦点を結んでくる、医療の文化の問題。大野さんが現在、生存を賭けて最も戦っていることである。
『困ってるひと』から読み手は間違いなく力をもらうだろう。そのもらった力を、今度は少しお返ししようではないか。大野さんは、表現者として、全身全霊で「難病者」というカテゴリーを作り、自分の身をさらすことで認知させている。「難病者」は私たちの生きる社会のあちらこちらで生活を送っているし、何よりも、私たちは全員が難病者予備軍である。生きているかぎり、難病になる可能性は誰でもいつでもはらんでいる。だから、難病者が社会からこぼれ落ちずに生きられるように、そのような制度が可能になるように、難病者の存在を常に意識のどこかに置いておくよう、『困っているひと』を読んで得た力を少しそちらへ振り分けようではないか。