都知事選について ― 2016-07-18
都知事選、これまで黙ってきたけれど、書くだけ書いておく。
私は今回の知事選は認めたくないという気持ちでいる。辞任には値しない理由で知事を辞任に追い込んで、有権者自身に何の利益があるのだろうか。
私は舛添知事の都政を、それなりに評価している。舛添憎しの人は、タカ派言論人時代の発言をやり玉に挙げて、ボロクソに言っていたが、都知事になってからの舛添氏は、極右化の時代にあって、むしろリベラルに感じさえするほどの言動だった。前回の都知事選では私は宇都宮氏に投票したが、舛添氏が当選したとき、次善の結果だなと思った。実際、知事になってすぐ、ヘイトスピーチは許されないとはっきり明言したし、ホームレス襲撃事件にも許されないことだと批判した。今や、それらの暴力に対し、ゴーサインを出すかのような態度を取る政治家や首長が少なくない中で、舛添知事の姿勢は明確で評価されるべきものだった。ただ、ヘイトスピーチを禁じる条例制定には消極的だったり、行政として制度で対応していくと言っていた貧困対策は不十分だったり(特に住宅政策はもっと現場に耳を傾けてほしかった)と、批判したい点もあったが、それは任期半ばで辞任させるという話ではない。
また、都有地を韓国人学校に貸し出すことを決めたことも、特筆に値する。まさに、この時代の悪い流れを断ち切ろうとする決断だった。だが、これも辞任によって白紙になってしまう可能性が高くなっている。
そして何より、森喜朗の言いなりにならず、オリンピックの費用を激減させたこと。他のどんな知事が、あの強権に対してここまでできただろうか。金にケチだというなら、ケチだからこそできたことではないか。この難しい案件で都の官僚、議会をコントロールする行政手腕は政治家として有能な証だし、舛添知事の功績として最大の評価を与えてよいと思う。
私も、言論人時代の舛添氏は、大嫌いだった。その見方が変わったのは、厚生労働大臣の時だ。労働行政は芳しくなかったけれど、少なくとも厚生の分野では、生来の優秀な官僚になりうる能力を発揮し、かつ官僚を抑える政治家としての力量も見せ、労を惜しまず現場からの声を聞き、案外とよい行政を行ったと思う。タカ派的言動が鳴りを潜めてきたのもそのころからだった。そこには、親の介護体験も大きく影響していただろう。
舛添氏の金の問題を等閑視してよいとは私も思わない。態度に傲慢なところがあるのもいただけない。だが、議会を通じて糾せば済むレベルの話ではないか。それをよりよい政策実現の駆け引きに使うなりすればよいではないか。政策に賛同できないのであれば、次の選挙で落とせばいい。
結局、ほとんど誰も舛添氏の行った政策を見てないのだなと思う。この非難の嵐の間、政策をある程度検証したうえでの批判など、皆無だった。生活保護バッシングと何も変わらない。叩いてよい対象となったから、叩いただけだ。そして、その暴力の欲求は、相手が降参するまで追い詰めないと、収まらない。
こんなことで、政治が成熟するわけがない。湯浅誠さんが言うように、政治は結果だ。どんな政策を実行できたかが大切で、その政治家を好きだとか嫌いだとかは、そのあとで考慮すべき要素なのだ。私だって人としては好きではない。でも、気に食わないから辞めろと言えるのは、自分たちが政治に参加して責任を負っているという意識が希薄だからだ。
それでも相手を打ちのめしたい衝動を抑えられないのは、その当人の傷ついたアイデンティティの問題だと、私は感じている。そして、有権者が自分のアイデンティティの問題を政治に持ち込むのは、大いに気をつけるべきだと思っている。これはこないだの参院選や各種のデモについても思う。集団的熱狂にアイデンティティを置き過ぎ、自分の心の拠り所としてしまうと、その外部が見えなくなり、外部の人たちの考え方が許せなくなる。これは自分にもその傾向があるから、自戒を込めて言っている。
舛添知事の都政は、この極右化、ポピュリズム化する社会の中で、防波堤的存在になっていたと思う。舛添氏が辞めることで得をするのは、リベラルではなく、極右化を希求する人たちだ。
原発の反対運動は80年代までに原理主義化して、自分たちの理想以外の声を許さなかったがゆえに、マジョリティの関心を失い、気がつけば54基もの建設を許してしまった。リベラルな人たちは同じ過ちを繰り返そうとしているとしか、私には思えない。
この都知事選の結果がどうなるのか。私は、後悔してもしきれない結果も大いにありうると思っている。
「都知事選、小池氏が序盤先行 鳥越・増田氏が追う」
野党共闘で出た鳥越氏も、ジャーナリストとしては尊敬しているが、青島都知事の例を思い返すと、都政というのは一筋縄でいくものではなく、大丈夫だろうかという心配ばかりが先立つ。何だか、あのときと似ているのだ。
野党共闘で出た鳥越氏も、ジャーナリストとしては尊敬しているが、青島都知事の例を思い返すと、都政というのは一筋縄でいくものではなく、大丈夫だろうかという心配ばかりが先立つ。何だか、あのときと似ているのだ。
5年で4回の都知事選という異常事態の中(いったい幾らかかっているのだ)、世のバッシング欲のために行うことになったこの選挙を、私は受け入れたくない。だが、選挙権を空洞化させたくもないので、投票には行く。自分たちで政治を壊している証としての選挙なのだと記憶しながら。
参議院選について ― 2016-07-10
参議院選がいかに大切かについて、書きます。
憲法改正がかかっているという意味でももちろん大切なのですが、私はより根本的な意味から、参議院議員がいかに必要かを感じています。
それは自殺対策支援を見てきたからです。一般的には派手な政策ではなく、あまり知らない人も多いと思いますが、自殺者がこのところ減少しているニュースは見たことのある人も多いでしょう。
これは政治が動いたからです。そして、それを動かした中心は、参議院議員たちなのです。
まず、政治が動いたというのは、自殺対策基本法という法律を、10年前に議会が作ったことです。この法律では、自殺は個人の問題ではなく、社会的な要因が引き起こす、追い込まれた末の死であり、行政はそれを防ぐための措置を取らなくてはならない、ということを明記しました。
行政は法律に縛られ法律で動くので、自殺対策基本法ができたことで、自殺対策をしなければならなくなったのです。その成果が少しずつ出ているわけです。
今年は、この法律が成立してから10年で、法律の足りないところもはっきりしてきたため、より具体的に突っ込んだ法律とするよう、改正されました。
これらすべては、官僚主導ではなく、議員が動くことで、官僚の理解も進み、この法案と政策に文字通り命をかける官僚と一緒になって、実現したことです。
政治家に働きかけたのは、民間で自殺対策支援をしている人たちです。10年前には、民主党の故・山本孝史参議院議員が民間の現場を知り、各党各会派の議員に呼びかけ、賛同した議員が党利党略を超えて超党派の議員連盟「自殺対策を推進する議員の会」を作り、議員立法として成立させました。
今年の改正法案も、同様に超党派の議員連盟が精力的に動いて、成立にこぎつけました。
専門性を持つ民間と政治家と官僚とが、よい形で連携し、民主党政権であろうが自民党政権であろうが、変わらずに自殺対策を進められたのです。
なぜ、超党派の議員が協働できたのか、私は気になっていましたが、「自殺対策を推進する議員の会」の自民党議員は、「参議院だからできた」と言っていました。解散のある衆議院では、どうしても政局に支配されてしまう。党利党略に距離を置くことが難しくなる場合も多いが、参議院はそこから距離を置くことができる。加えて良識の府であるという自負もある。
現状のような強大な与党が揺るぎない状態にあっては、党派を超えて政官民を連携させた自殺対策のような方法は、実際の制度を変えていく上で、私は唯一と言ってもいいぐらい重要なやり方ではないかと思います。
差別・ヘイトスピーチを禁じた反ヘイト法が成立した過程にも、似た要素が多々あったと思います。
政局に左右されず、党派にとらわれずに立法にこぎつけうるという点で、参議院議員は大切な機関なのです。地味かもしれないが、現実の政治は地味なことの積み重ねで行われます。それが、制度をよりよく変えるための唯一の方法です。
まずは参議院議員の選挙で投票することが、その一歩です。少しだけ労力をかけて、投票所に足を運んでください。見えないところで、少しずつ変わっていくかもしれないのだから。
2014年12月11日(木) ― 2014-12-11
シニカルな沿道
ヘイトスピーチの氾濫を沈静化させたいという意思を表明するため、11月2日の「東京大行進」に参加した。昨年に続いて2回目の実施であるが、参加者は昨年の倍以上の約2800人(主催者発表)。実際に2回とも歩いた私にも、去年より爆発的に増えたという実感がある。
新宿の中心を練り歩くコースだったのだが、街頭の反応はなかなかよかった。特に、外国人やセクシュアル・マイノリティー、路上生活者たちに、何らかの賛意を表明する人が多かった。飛び込みで行進に加わる人も少なくない。
差別的な暴力が野放しで、まわりも見て見ぬふりをするような状態だった昨年から比べると、異を唱えようとする人々が増えているのは確かだろう。
だが、社会全体がそれとは逆方向へ動いていることも感じた。ヘイトに無関心である人たちの反応の仕方に、ある傾向が見られたのだ。
例えば、行進が大きな交差点に差しかかったとき。信号待ちの通行人が、「いつまで道ふさいでんだよ、迷惑なんだよな」とつぶやくのが聞こえた。私の知人は別の場所で、「道路占拠してまですることか」という声を聞いたという。
おそらく、その人たちはヘイトスピーチに賛同というわけではないが、反対デモにも関心はないといったところだろう。無関心なら、無関心なりの態度を取ればよいと思う。だが、そこでシニカルな拒絶反応を示してしまう。私はここに、日本社会の性格がよく表れていると思うのである。
世界中どこでも、デモは行われている。韓国でもメキシコでもブラジルでもアルゼンチンでも、私はデモを見た。そのデモに反対する人々が、カウンター行動をするのも見た。無関心な通行人もむろんいる。だが、その通行人がシニカルで軽蔑的な態度を取る様子は、見たことがない。
要は、他人のすることを、そこまでいちいち気にしていないのだ。同調圧力が常態となっている日本では、「迷惑」という言葉のもとに、いちいち気にして難癖をつけないと気がすまない。特に、政治的社会的な言動に対しては、激しいアレルギー反応を示す。
これは私の現場である純文学の業界でも同様である。小説が政治的だったり社会派的だったりする題材を扱っていると、図式的な紋切り型と見なして強い拒絶を示す書き手が少なくない。だが、世界の小説に目を向ければ、政治が小説の中に描かれるのはごく普通のことである。なぜなら、政治は生活の一部だから。政治的主張を小説で行ったのなら批判されるべきだが、政治を描くことにまで拒否反応を示すのでは、たんに政治をタブー視しているだけになってしまう。沿道のシニカルな態度とあまり変わらない。
そしてさらに憂うべき事態も進行している。活字メディアによる、自粛である。この原稿を書いている間に、私はとても看過できない事例を二つも知った。一つはリベラルな出版社のケースで、右派に攻撃されかねないという判断により、刊行予定の本から一部の文章を削除したというのである。私の聞いた限りでは、そのくだりは事実誤認を含んだりするものではなく、何の問題もないように感じられた。もう一つは新聞社が原稿をボツにしたケースで、やはり内容的に問題にならないばかりか、むしろ新聞社としては載せて当然の記事だと思えた。いずれも、直接の圧力があって屈したわけではなく、メディアが自ら自由な言論を放棄している。世の空気に進んで同調しているという意味で、自粛というよりもはや自己検閲の領域に入りつつある。これは氷山の一角であろう。
このように、日本社会はさまざまな領域にいたるまで、虚無的な態度が染み渡っている。ヘイトの衝動をもたらす源は、この虚無だと私は思うのである。
(北海道新聞2014年11月14日朝刊 各自核論)
2014年4月21日(月) ― 2014-04-21
岡村淳さんの作品を一年ぶりに見に行く。毎春恒例の「優れたドキュメンタリー映画を観る会」。作品は『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』。
1999年に撮影された素材を、昨年になってまとめられたもの。岡村さんご自身は地味で欠点だらけの作品とおっしゃるが、私の心はすっかり持っていかれてしまった。
作品内容の紹介を、岡村さんのサイトから。
「1960年代、日本はエネルギー政策を大きく変換して、国内各地の炭鉱を閉山して、さらに失業した炭鉱労働者を南米に農業移民として送り出しにかかった。
実際に海を渡ったのは数千家族といわれているが、実数は定かではない。
自ら炭坑夫として地底に潜った日本の記録文学の大家・上野英信は1974年、かつての同僚たちを追って広く南米4か国を200日にわたって訪ねて回り、『出ニッポン記』という大作を遺している。
上野の最初の南米の旅から25年、逝去から12年。上野を師と仰ぎ、筑豊の閉山炭住地域で伝道所を開く犬養光博牧師は、上野の足跡と炭鉱離職者の今を訪ねてブラジルを訪問した。上野に私淑して『出ニッポン記』を座右の書とする岡村は犬養牧師の旅の案内と記録を引き受けるが、サンパウロ空港での出会いから間もなくふたりはニセ警官の強盗グループに襲撃されてしまう。
からくも難を逃れた犬養牧師は、ブラジルで上野と親交のあったサンパウロ人文科学所のメンバーらを訪ね、意外な上野像を交換し合う。さらにサンパウロの日本人社会を対象に上野英信についての講演会を行なうが、聴衆からは予想外の反発を浴びることになってしまった。
そしてリオデジャネイロとアマゾンへの調査の旅を前に、サンパウロで北海道からの炭鉱離職者に出会うこととなるが……」
上野英信のことは、岡村さんを通じて初めて知り、その後、私のまわりで何人も上野英信への崇敬の念を表明する作家・研究者に会い、非常に気になっていながら、入ってしまったら迷宮になりそうな気もして、私はまだ読んだことがない。その上野英信モノを岡村さんが作られると知って、絶対に見ておかねばと思ったのだ。
それほど崇拝の言葉しか聞かなかった上野英信について、信者ともいえる犬養牧師は、強烈な相対化をしながら、相対化してもしきれない上野英信の神髄に迫っていく。上野英信が炭鉱に入っていった動機には、若いときの広島での被爆体験があるのではないかというのだ。被爆体験が、自分を卑下する感情となり、エリートの道を歩むに値しないと考えさせ、炭鉱労働者への道を選ばせたのではないか、と。その英信の心根について、犬養牧師は強烈な一語を発する。
作品を見ていただかないとその強烈さはわからないと思うのでここには書かないが、私は本当に衝撃を受けた。これは犬養牧師以外、誰にも口にできない言葉であろう。
これは今の社会を変えうる、決定的なものすごい言葉だと私は思った。極端な言い方をすれば、ある人間がヘイトスピーチにかける怨念のような情熱を、炭鉱労働者に混じって記録を書く情熱へと変えてしまうことは可能なのだ、と言われたような気がした。その言葉こそ、今の社会を機能不全に陥らせている、表面的な二分法の考え方、敵か味方かとレッテルを貼る思考を、突破する力を持っている。今の社会にあるネガティブで虚無的なエネルギーは、すべてポジティブで創造的な力に変わりうるのだ。それらはじつは同じエネルギーなのだ。それを上野英信という偉人に見てしまう犬養牧師に、私は仰天した。上野英信を読んだこともない私が、その偉大さを感じた瞬間だった。
岡村作品のすごいところは、そこで終わらないところだ。そんな犬養牧師をも、映画は相対化してしまう。
犬養牧師のおつれあいがお話をする場面もあるのだが、これがまたすさまじい。犬養牧師がひと言も反論できない、徹底的な批判をニコニコと元気よく展開するのである。この方の魅力は輝かしいばかりで、かつ岡村作品にとてもよく登場するタイプの女性である。私はここでも圧倒されてしまった。岡村作品は、このような根本からの批評者、一番メタレベルに立たされている者の存在を、決して見逃さない。だから汲めど尽きせぬ創造性があるのだ。
映画は、元炭鉱労働者のブラジル移民に実際に犬養牧師が会っていくところで終わり、やがて作られる予定の続編へと続く。
だが、私の衝撃はまだ終わらなかった。上映後のトークで、岡村さんは上野英信の『出ニッポン記』につけられたかもしれないオリジナルのタイトルを口にする。そこに含まれていた「棄国民(きこくみん)」という言葉に、私は目の前の世界が変わるような思いを抱いたのだった。「棄民」という言葉が併せ持ってしまう被害者意識を、主体性へと変えてしまう強靱な言葉。
岡村作品に通底する感覚は、これだと気づいた。居場所が奪われていく者が、それでも主体性を確保し続ける姿が、執拗に描かれているのだと。そこには、自分は捨てられているのではなく、自分のほうが捨てている側なのだという境地に達することで、怒りをネガティブな怨念から創造性のあるエネルギーに変えるという姿勢が共通している。
この映画のおかげで、これからの暗黒時代を生き抜くために、大切な言葉と思考を私は手に入れた。
2014年1月29日(水) ― 2014-01-29
都知事選について。
原発の問題は国だけが決める問題とは思わない。私も原発依存から脱却すべきだと思っているから、原発について新しい都知事がどのような政策を取るのかは、外せない要素として重視している。
けれど、原発のことしか語らない候補者にも、大いなる違和感を抱いている。
原発事故によってはっきりしたのは、私たちが無意識のうちに原発に依存していたことだけではない。この社会が、各地域の生活をいかにないがしろにしてきたか、という構造だ。地方の自治を等閑視して、自己決定権はあまり与えないまま、「自分たちで何とかしな」と言わんばかりの無関心で放置し、「自分たちでどうにもできないなら金をやるから原発造らせな」と要求する。これは地域の選択でも自治でもない。
原発依存を脱するために必要なのは、たんに原発への意識を高めることだけではない。その地域社会が何かに依存することなく自立できるよう、自分たちの生活を自分たちで決めるという自己決定の考え方を大切にすることだ。自立できてこそ、共存という考え方が成り立つ。そのためには、地域の住人がどんな社会を作るのか、自分たちで考える必要がある。
東京だって、日本社会の中の一地方都市である。首都として大きな発言力、影響力を持つという側面もあるが、住人からすれば単なる地元の生活空間でもある。巨大都市である東京には、東京なりの地域性があり、地域独自の問題を抱えている。例えば、仕事を求めて全国から集まってきた人々の、貧困の問題である。それは地方の貧困の問題とはまた対応策が異なってくる。
先日、若年女性の貧困を取りあげたNHKクローズアップ現代を見た。母子家庭で育った私には、常にこの問題は他人ごとではない。自分がそうなったかもしれないという、恐怖と怒りが常に伴い、冷静ではいられなくなる。(この番組については、イケダハヤトさんのブログにも詳しい。また、生活保護申請をめぐるくだりで、役所の「水際作戦」を鵜呑みにしているという問題点もある。詳細は、NPO法人「もやい」のブログを見てほしい。)
これは一例に過ぎないが、ただ生命を維持しているだけとしかいいようがない若者の貧困、孤立する高齢者の一人暮らしや夫婦等々、今この一瞬が死活問題として、生死の瀬戸際に立たされている人がものすごくたくさんいる。広く捉えれば、福祉の問題ということになる。その地域で生活している人への行政サービスが地方自治体の一番大きな役割である以上、現在の問題を考えれば、福祉という領域が都知事選でも最も重要な課題となっているといってよいだろう。
また、ヘイトスピーチという差別と暴力の問題も、それが顕在化している現場となっているのは、主に東京と大阪だ。東京都には、この問題を、地域として対処する使命がある。それは教育の問題と密接に関わっている。差別を肯定する教育を行うのかどうか。教育も、直接自治体が関わる事項であり、都知事次第で大きく内容が変わるだろう。
原発の問題は、これらの課題と並ぶ重要な政策だ。「並ぶ」のであって、これらの課題よりも優先されるべき課題ではない。どちらがどちらに優先されるという特権性は、どちらの課題にもない。どちらも人の生命がかかった、同じ重さの重要課題だ。脱原発を実現するために、貧困で生死の瀬戸際にいる人は我慢してください、とは、私には絶対言えない。これを言える人、あるいは考えないでいられる人は、ヘイトスピーチについて語る資格はない、とさえ思う。
候補者は、これらすべての課題について、どう対処するのか、ある程度具体的な政策を示すべきである。イメージだけで言質を取られないような言い方をしたり、さらには言質を取られないためにまったく語らないというのは、地方自治をないがしろにした態度であり、自治体の長としてふさわしくないと思う。
一つの公約だけを語り、「敵か、味方か」と有権者を二分し、選挙の後は公約しなかった政策を住民の了解もなく次々と押し進めていった政治のやり方を、また繰り返すのだろうか。この社会はそこまで忘れやすいのだろうか。「風」を起こすことで物事を変える、という政治のあり方自体が、民主主義の放棄につながっていることを、なぜこの社会は学ばないのか。もし、そんなつもりはないというのなら、なぜ、原発以外の政策についても誠実に語ろうとしないのか。福祉や差別について語ると色がついて票が逃げるから、黙っているのか。それは空気を読んでまずいことは黙っていようという態度であり、自治体の長になろうという人がそういう態度を取ることが、巨大なモデルケースとなることを理解しているのだろうか。
私は小泉・細川連合を、毒まんじゅうだと思っている。自分たちの地域の生活を自分たちで決めるという地道な態度を放棄させて、何か大きな大転換が起こるという夢を見させてくれる、麻薬だと思っている。たとえ、風のおかげである程度流れが変わっても、地道に手間暇かけて対話するという民主主義の本質は放棄されたままだ。むしろ、さらに麻薬に依存してしまうだろう。風次第でいくらでもまた変わるだろう。熱狂だけが政治の意味になってしまうだろう。原発問題が解決しても、地方はまた原発の代わりを押しつけられるだけだ。先の大戦の時代には、地方の貧困は、娘の身売りと息子の兵士化を加速させていった。生きるにはそれしか選択肢がなかったからである。脱原発を考えるには、そのこともセットで考える義務が、私たちにはある。
今大事なのは、流れを読まずに選挙に臨むことだ。それでもいつかは物事は変えられると信じる気持ちだ。
私も、心から歓迎したい候補者がいるわけではないけれど、自分が目をつぶれないものに目をつぶってまで投票先を決めたりはしない。