相撲ルーツの旅2017-07-24

 白鵬の優勝インタビューで興奮したのが、初代若乃花の二子山親方が1992年にNHKの番組でモンゴルを訪れた際、まだ6歳だった白鵬と出会っていたという事実である。白鵬は次のように語っている。
「この(60年前に始まった名古屋場所最初の優勝力士である)若乃花さんと私、じつは縁がありまして、ちょうど今から26年前に、相撲の世界の、相撲のルーツってことで、モンゴルを訪ねたんですね。私の父と対談しまして、そのころ私6歳で、若乃花関からお菓子をいただいたんです。それがなんと、うまい棒だったっていう。この記念すべく名古屋で大記録を達成して、縁を感じております。」
 驚いた。私はまさにこの非常に印象的だった番組を見てモンゴル相撲を知り、強烈なインパクトを植えつけられたのである。初めてのモンゴル人力士、旭鷲山と旭天鵬が旧大島部屋に入門したのはその前年の1991年だから、相撲界ではモンゴル始め、海外に目が向いていた時期だったのだろう。実際、1980年代から90年代は、大相撲の海外公演・海外巡業が盛んだった。理事長の栃若時代、つまり春日野理事長と二子山理事長の時代は、大相撲の門戸を海外に開き、また海外に普及させようという意識が強くあった。海外を席巻する日本経済と軌を一にしていたとも言えるが。
 二子山親方のこの旅は、相撲のルーツを探る旅として、韓国やモンゴルなどの東アジアを始め、トルコ、エジプト、セネガル、スイスと、まさに世界中を回っている。NHKスペシャル『土俵の鬼の旅路・二子山勝治が見た世界の相撲』というタイトルで、1992年11月8日に放送されている。番組を手がけた石田雄太氏が、『二子山勝治・相撲ルーツの旅』という本にもまとめている。けれど、白鵬がこのエピソードを語った時、実況の三瓶アナウンサーも解説の北の富士さんも、この番組のことも二子山親方の旅のことも知らないようだった。
 もっとも、本によると、この年のモンゴル相撲「ナーダム」(年一回だけ行われる)には、白鵬のお父さんである横綱ジグジドゥ・ムンフバトは、腰痛のため欠場している。
 呆れたことに、ネット上では、白鵬が「モンゴルが日本の国技である相撲のルーツだとぬかしている」などと、暴言が飛び交った。しかし、二子山親方は、1500年の伝統がある日本の相撲のルーツは、2500年の歴史があるモンゴルや中国東北部あたりだと思い、源流を見たいと熱望して、理事長を辞めた後でこの旅に臨んだのだ。なぜなら、その地域から相撲が日本に入ってきたであろうことは、多くの歴史家が指摘していることであり、それを裏付ける壁画等も存在しているから。宮本徳蔵『力士漂泊』もその資料の一つである。
 ネット右翼の、都合よく捏造された架空の言い分を事実と信じたがる性質にはもはやつける薬はないが、今ブームに乗って相撲を見ている、特にネトウヨでもない人たちが、実は似たような「国技」観を漠然と持ちながら、日本人第一の応援に乗っかっていることは見過ごせない。相撲は日本だけのものではない。東アジアに共通する歴史を持ち、それぞれの地域で独自の色を持つようになっただけである。
 白鵬は、サンデースポーツのインタビューで、「相撲道への探究心に衰えは感じられませんが、それは相撲を楽しんでいるということですか」との質問に、こう答えてもいる。
「いや、自分は「楽しい」って言葉はあんまり好きじゃないんですよ。こんなにつらいことを、こんなに体いじめて追い込んでやることは……。たぶん、伝統文化、神事というより、今の大相撲はスポーツになってると思うんですよ。もうアスリートなんですよ、みんな。だから結果は残さなきゃいけないし、そういった意味で、勝たなきゃいけないっていう立場にあれば、楽しいことはありません。もう必死です。」
 近代化以降、特に戦後は、相撲はスポーツの要素を強めていった。だから記録も重視されるし、勝負に本気さを求められもする。何より、「勝て、勝て、日本人」の大声援が、まるでオリンピック等の国際スポーツの応援のようではないか。伝統芸能の「国技」ではなく、国際的なスポーツだから、勝つことに異様なまでの要求があるわけだろう。そのことを白鵬が誰よりもよく感知し理解しているのは、まさにチャンピオンだからだ。

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