岡村淳さんの傑作『ブラジルの土に生きて』改訂版を見る2017-05-06

 ブラジル在住の記録映像作家、岡村淳さんの長編ドキュメンタリー『ブラジルの土に生きて』改訂版を、メイシネマ祭2017で見た。2000年の完成以来、何度見てきただろうか。

 改訂版は岡村さんが昨年、すべての会話に日本語字幕をつけるという大作業の他、細かなブラッシュアップを行なったバージョンだ。新作も多々控えているなか、あえてそこまでする何かがあるのだろうと、気になっていた。
そして実際、それだけの労力をかけただけの素晴らしい作品だった。
 9年前に左耳が難聴になって以来、日本語の音声だけで字幕のない映画を見るのが少し苦痛だったので、まずは字幕があるだけでこんなに映画に集中できるのか、と、そのことが嬉しかった。

 さらに、字幕版で衝撃的だったのは、主役の一人である石井延兼さんと娘のノブエさんが交わす会話の内容が、はっきりと表されたことである。この場面は、私の記憶では、日本語とポルトガル語が混ざった会話の内容がややオブラートに包まれたようになっており、あまりにもプライベートだから立ち入ってはいけないのかな、と感じていた。けれど、今回はそれが注釈付きでつまびらかになっていて、やはりその内容に衝撃を受けたのだった。

 娘のノブエさんは、若いころに反政府活動をしている最中に行方不明となり、長い間、消息不明だった。その後、チリに亡命、さらにフランスにわたってパートナーと暮らしていることが判明、親子は再会を果たせたのだ。

 この作品では、もう再会を果たした後の、時々行われるノブエさんの里帰りが収められているのだが、延兼さんは高齢で体も悪く、次の里帰りでまた会えるのか心もとない中、会話が交わされている。その内容は、この作品を見て確かめてほしい。

 かつてこの軍政の暴力の、ごく普通の生活に刻まれたあまりに生々しい爪痕を、私はただ言葉もなく受け止めるだけだった。けれど、共謀罪が来週にも強行採決されようとしている現在、自分に降りかかりかねない出来事として、体のこわばるような感覚とともに見た。

 この日の上映会のアフタートークで岡村さんは、「私は祖国(日本)が心配です。ブラジルも大変だが、ブラジルのことはあまり心配していません。ブラジルには、すぐさま反対や異論の声を上げる人たちがたくさんいるからです。でも日本はあまり声が上がらないまま、決定的なできごとが決まっていく。祖国はどこへ行ってしまうのでしょう」というようなことを、おっしゃっていた。この作品を改訂版として改めて披露することには、この気持ちが込められているのだと、私は深く共感した。

 それにしても記憶力はいい加減なもので、覚えていないシーンがいつくもあった。今の私だからこそ、見えてくる場面や細部があるのだ。

 その一つは、石井家に集まる一族が、実に多様であることだ。日中戦争前に、軍国主義を深める日本を厭うて、ブラジルでの可能性にかけて飛び出した石井延兼さん。ろくに知らない延兼さんに嫁ぐことになってブラジルに渡った妻の敏子さん。その娘でフランスに亡命したノブエさん。スイスで医師をしている、石井さんの孫とそのおつれあいのスイス人。移民した石井家の中から、再移民している人たちがこのように混在しているのだ。それぞれのアイデンティティは、親同士、きょうだい同士でも理解できないほど、異なっている。また、明治生まれの石井夫妻の人生には、敏子さんのあまりに魅力的な生きざまを通じて、ジェンダーの問題まで深く表されている。

 このドキュメンタリーにはつまり、世界が凝縮されている。世界で起こりうることが、この一家族を追っただけの記録に、ほとんど起こっている。今回、私が気がついて、心を奪われたのは、この事実だ。全力で生きる人の日常を、静かにじっくりしっかりと全力で見つめれば、世界は自ずとその全貌を現す。私は勝手に、これからを生きるための実に様々なメッセージを、受け取った。

 なお、岡村淳作品の上映会は、岡村さんのサイトで告知されていますが、コアな長編を見る機会としては、5月15日(月)高円寺pundit'での上映会があります。
 また、運営する私の不手際でしばらく行方不明になっていた岡村さんの文章を集めたサイト、「岡村淳 ブラジルの落書き」も、再開しました。こちらもご一読を。

大相撲中継が「スター主義」化している2017-05-19

 稀勢の里で相撲ブームが爆発してから、NHKの相撲中継が「スター主義」に堕しつつある。これまでは、優勝争いの直前ぐらいになるまでは、地味な力士同士の取り組みでも、その力士たちについてアナウンサーと解説があれこれと話を展開させていた。そこには、相撲中継についてのプロ意識があった。
 だが今は、序盤戦から注目力士の話題ばかり。地味な力士同士の対戦になると、控えにいる注目力士にスポットを当て、同じ予想、同じ話を繰り返す。地味な力士たちの無視される度合いがひどくなっている。
 勝ち馬に乗れ、と促すようなこのあり方、もうほんと、ウンザリ。ブームの観客が勝ち馬に乗るように、土足で土俵を踏みにじっていくようなありさまは、この中継の仕方にも原因がある。
 一昨日3日目の相撲、白鵬対千代翔馬戦で、仕切りのときに両者が呼吸を合わせあってなかなか立てずにいた時、立ちそうで立たなかった瞬間、館内がどよめいた。それで集中を乱された白鵬が、仕切り直しを求めた。こういうとき、館内がどよめいてはいけないのだけど(そしてこれまでなら実際に皆どよめくことなくかたずを呑んで見守っていたけれど)、今の館内はこういうことで簡単にどよめいてしまう。
 呆れたのは、アナウンサーと解説が、白鵬が神経質になっている、みたいなことを言ったことだ。たぶん、あの状況なら、たいていの力士が仕切り直しを求めるだろう。
 こういう物語の作り方は、やがて相撲を衰退させる。スター主義に頼ったら、地道なファンは育たなくなる。相撲の将来を食いつぶすような真似は、NHKはすべきではない。


相撲の持久力2017-05-21

 5月場所7日目の稀勢の里対御嶽海の取り組み、稀勢の里は素晴らしかった。御嶽海は期待通り、鋭い立ち合いから稀勢の里の左を封じて浅く食らいつき、一気に寄り立てる。御嶽海に勝機のある攻めだったけれど、稀勢に左を浅く差すことを許していたのが、致命的だった。この左で土俵際、圧力のある御嶽海の寄りをこらえると、土俵中央に戻って一息つく。
 これで御嶽海の勝機は消えた。御嶽海は稀勢がこらえたあと、自分の腰をさらに落として、すぐにまた寄り立てる必要があった。けれど、有利な体勢ながら、御嶽海は動けなかった。最初の攻めで力を使い果たしてしまったのだろう。私にはもう疲れているように見えた。
 稀勢の里は、その肉体の存在自体がものすごい圧力と重さを放っている。稀勢と組むだけで、その凄まじい圧力と重さに対抗するために、全体力を動員しなければならない。そのためには動き続けなければならない。遠藤や嘉風みたいに。
 御嶽海もそうしたかったのだろうが、力尽きて、止まってしまった。こうなると、ただ組んで止まっているだけで、稀勢の圧力と重さを受け止めるために体力を消耗していく。最後、稀勢に寄られていくときは、御嶽海はもぬけの殻だった。
 この相撲からわかることは、まず御嶽海は何らかの稽古がまだ足りていないのではないかということだ。成長著しく相撲は上手く力強くなっているが、横綱を倒すには体力が続かなかった。
 そして稀勢の左腕は、だいぶ良くなっているということ。浅い左差しながら、御嶽海の寄りをこらえ、最後はその左をねじ込むように寄っていけた。つまり、次第に稀勢らしい相撲が取れるようになってきている。
 それにしても、今場所は稽古不足の中、御嶽海に体力勝ちできるのだから、稀勢のこれまでの稽古の蓄積がいかに物を言っているか、ということだ。この点は素晴らしいと思う。

白鵬がいると土俵が締まる2017-05-24

 白鵬の調子が、怪我以前に戻ってきた。足の指や肘は万全とは言えないだろうが、それでも絶好調だ。白鵬の調子がいいと、土俵が締まる。白鵬がいるだけで、土俵のレベルが上がる。それだけハイレベルな相撲を取る白鵬についていき、倒さないと、優勝できないからだ。
 先場所、先々場所は、物語的には盛り上がったのだろうけれど(私はその物語には乗れないので、盛り上がらなかった)、相撲全体のレベルは低下していた。白鵬の調子が悪かったり休んだりしたからだ。そうすると、なんとなくその場所は相撲から厳しさが失われる。白鵬の休場した場所の内容を振り返ると、だいたいそうだ。
 この印象は、単なる思い込みではないことが、昨日、NHKの調査で実証された。力士の立ち合いのスピードや腰の低さ等々を、試験的にデータを取ってみたのだ。
 すると、立ち合いのスピードは、白鵬が圧倒的に1番だった。日馬富士をも上回っているのだからすごい。
 さらには、身長に対する相対的な腰の低さ(立ち合いのかがんだ姿勢で地面から回しまでの距離を測る。そして全員が同じ身長だとしたらどのぐらいの高さになるか、換算する)も、なんと白鵬が3位なのだ。しかも、白鵬自身で比較しても、今場所はここ2場所よりずっと低くなっている。
 つまり白鵬は、十分に腰の割れた低い姿勢から、圧倒的なスピードで立つ。なので、立ち合いでほぼ確実に先手を取ることができ、余裕を持って自分主導の相撲が取れる。ただでさえ上手くて強い白鵬、立ち合いでも誰も勝てないのでは、無敵なわけだ。
 白鵬がいると、この低くて速い立ち合いに対抗するべく、他の力士もレベルを上げようとする。だから、全体として取り組み内容のレベルが上がる。と、思うのです。
 それにしてもインタビューの宇良は可愛いね。

完璧な白鵬2017-05-29

 大相撲5月場所、白鵬の全勝、しかも勝ちを拾ったような相撲は一つもなく、すべて完璧な勝ち方という圧倒的内容での優勝に、ここ1年半の相撲観戦の息苦しさから私も解放された。
 優勝のインタビューも心憎かった。「国家を歌えて最高の気持ち」という一方で、高安の大関確定に「彼のお母さんはフィリピン人ですから、フィリピンの国民の皆さんに『めでたいな』と言いたい」と述べる。途中休場した横綱の鶴竜や稀勢の里をねぎらい、高安のがんばりも評価する、この大相撲全体を支える人たちへの細やかな目配りはもう、来るべき理事長のようだ。ここ1年半の「日本人中心主義」「稀勢の里中心主義」から解放されて、どれほど風通しよく感じたことか。
 この開放感は、稀勢の里が休場したことで、稀勢ばかりに集中した報道が、フラットに力士全体に向かうようになったことが大きいだろう。報道はいけしゃあしゃあと、「稀勢の里に人気が集中」「稀勢が圧倒的に脚光を浴びている」などというが、稀勢の里シフトを引いて「日本人力士優勝待望キャンペーン」「日本人横綱待望キャンペーン」を張ったのは、相撲協会と結託したNHKと報道陣である。自分たちでブームを作り出しておいて、あたかも自然と世の中が稀勢の里を応援し続けていたような言い方をするのは、恥ずべき欺瞞だ。もちろん、稀勢には罪はなく、そのとんでもない重圧を受けながら、期待以上の結果を出しているのはすごいと思う。まあ、どんな相撲を取ろうが失敗しようがずっと味方でいてくれるあの絶大な人気のおかげで、これまで自分の中で安定させられなかった自信をようやく持つことができたから横綱になれた、とも言えるが。だから期待に応えたくて、怪我を押しても出場したのだろう。
 高安の大関昇進も嬉しい。白鵬同様、相手の動きを見て反応することに長けているから、今場所はものすごい圧力と切れ味鋭いいなしの組み合わせで勝ち星を重ねた。パワーとうまさの光る相撲だ。これで、いなしではなくパワーの押しと四つを組み合わせた相撲を取れるようになったら、即横綱だろう。太い腕(かいな)とパワーを武器とした武蔵丸みたいな横綱になれるのではないか。
 高安がフィリピン人のお母さんを呼んで、その姿が映ったのも良かった。私は、何かと親を取材したり映したがる、日本のスポーツ報道の家族主義をものすごく嫌いだが、高安のお母さんの存在が普通の姿としてテレビに映るのはいいことだと思っている。高安のお母さんも、その役割を果たす使命感も持って、あえてカメラを拒まないでいるのではないか。
 それはやはりお母さんがフィリピン出身である御嶽海についても同じだ。御嶽海母はもっと頻繁に国技館に来ては、友達と応援団のようになって応援している。その御嶽海は、殊勲賞受賞インタビューで、高安関の存在はどういうふうに感じているか、との問いに、「すごい大きいですね。やりとり、連絡もちょいちょいしてますけども、すぐ追いつきますと言ったばかりなんで、ヤス関の活躍をしっかり見て、追っていけたらなと思います」と答えている。経歴上は特につながりのない2人だが、やっぱりルーツを同じくする母を持つ者同士、絆を築いていて、気持ちが通じ合っているのだ、と感銘を受けた。
 また今場所は、鳴戸親方が部屋持ちとして、師匠デビューした場所でもあった。元・琴欧洲の鳴戸親方は、かつての東関親方(元・高見山)、今の武蔵川親方(元・武蔵丸)に続く、外国ルーツの親方である。、亡き間垣親方(元・時天空)は実現できなかったが、やがて元・旭天鵬の大島親方もモンゴル出身力士として初めての部屋を持つだろうし、遠い先には白鵬だってそうなるだろう。(注・5月場所後に大島親方は友綱親方となって、友綱部屋を継承した。)
 こういう力士が普通になっていきつつあるのだから、もう「日本人力士」とかいった分け方や価値付けはやめようではないか。そういう言動は、現代において「選挙権は納税している男だけが持つもの」とか言うぐらい、古くさい。
 来場所は、怪我を治して鶴竜と稀勢が万全の体調で出場すること、鶴竜が優勝争いに絡むこと、相星の稀勢と白鵬が、今場所の日馬富士対白鵬のような(近年なかなか見られないすごい相撲だった!)、ガチの横綱決戦を行うことを期待したい。白鵬も稀勢も、それを何より望んでいることだろう。