稀勢の里と照ノ富士の怪我について2017-03-25

 稀勢の里、左肩の怪我を押して、今日14日目も強行出場するという。
 貴乃花になぞらえる人もいるけれど、私はあまりいいことだとは思わない。貴乃花ファンだった私は、今でもあの武蔵丸との相撲を見返すたびに胸が苦しくなる。あれで貴乃花の相撲人生が終わったからだ。歴史に残る優勝だとは思うけれど、ファンとしてはあんなことはなくてもよかった。あのとき休場して、もっと多くの優勝争いを見られたほうが、ずっと幸せだった。
 稀勢の里にはこれから充実した横綱人生が待っているのだから、無理をしてほしくはない。それでも出場してしまうのは、今の稀勢の里ブームで背負っているとてつもない期待に応えたいという使命感と、やはり優勝したい気持ちだろう。2場所連続優勝とは程遠い基準で横綱に昇進したので、本人としても2場所連続で優勝し、かつ横綱として優勝することで、横綱にふさわしいことを証明したい気持ちがあるのかもしれない。
 同じく優勝を争う照ノ富士も、2年前に終盤戦で同じように大怪我を負い、しかし優勝争いトップだったために、強行出場した。星は落としたものの、鶴竜と優勝決定戦となり、負けた。そして怪我が長引き、今場所の復調まで、約2年近くかかった。因果関係はわからないが、私はこのとき無理に出場しなければ、もう少し怪我は軽く済んだのではないかと思っている。けれど、横綱大関陣の相次ぐ休場で大関としての責任を感じていたことと、優勝のチャンスを逃したくない気持ちとで、強行出場した。照ノ富士が今場所優勝すれば、あの時点でおあずけになった優勝を取り戻した気分だろう。
 稀勢の里はもう若くはないのだし、怪我のないことが強みの一つであった白鵬も、30歳になって一度怪我をしてからは怪我の連続である。実際には長い間の負荷が溜まって、満身創痍なのだ。稀勢だってそうならないとは限らない。
 照ノ富士は、かつてのスケールの大きな相撲が戻って、とんでもなく強く見えるが、これもファンとしては、苦々しい思いで見ている。あの相撲が照ノ富士の魅力であることは間違いないが、身体中の関節に多大な負担をかけるから、長くはもたない。まして体重と上背のある照ノ富士は、そのうち膝が体を支えられなくなるだろう。本当は、怪我で苦しんでいるうちに、立ち合いの鋭い、緻密で負担の少ない相撲を覚えてほしかった。怪我は、相撲を変えるチャンスだった。そうなれば、復調したらすぐ横綱になれるし、長持ちもするだろう。今の相撲では、またいつか致命的な大怪我をする。怪我を生かせなかったことが残念だ。

 14日目の取組後、追記。
 案の定、稀勢の里は左肩がまったく動かず、痛みを我慢しているような状態のため、相撲にならなかった。相撲にならない姿を見せるのは、プロとしては責任を果たしているとはいえない。休むという判断ができることも、プロの、横綱の使命の1つだと思う。
 私は、このような、怪我を押して我慢する姿を見せることが美談になることに、非常な違和感を抱いている。それは特攻精神みたいなものに近似している。出場している本人にそんな意識はないだろうが、これを美談として礼賛する側は、後先考えない玉砕に感動するメンタリティを育ててしまうことになる。
 しかし、それで優勝の可能性が高くなった照ノ富士もいただけない。大関復帰が絶たれるかもしれない琴奨菊との一番に、立ち合いでの変化。これから上を目指す力士のすることか。膝の具合がまた悪くなっているという話もある。心配したとおりだ。
 何だか優勝に価値のない場所になってしまった。

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