横綱の資格(「品格」じゃないよ)2016-11-20

 ああ、豪栄道、やはり……。
 昨日の魁聖戦はいまいちの内容だったものの、今場所の強い精神力の豪栄道であろうとしてはいた。だから連敗を止めたことに意味はあったと思った。けれど、今日の隠岐の海戦は、先先場所までの情けなくて惨めな豪栄道に戻ってしまった。私は判定に対しては同体取り直しでもいいのではないかと感じたが、豪栄道の綱取りという意味では、失格だと思った。
 先日書いた通り、横綱は負けない能力が重要である。不利な時にしのぐ力、調子の悪い時でもやり過ごす力、重圧の中でもつぶれない力。豪栄道が横綱になってもやっていけるかどうかを測るには、一敗した後に立て直せるかどうかが鍵だった。そしてその試験に豪栄道は通らなかった。
 二敗はまだ優勝圏内である。そして、もしこの後勝ち続けて優勝したなら、横綱にすることは異論ない。けれど、綱を張り続けられるとは思えない。横綱になるということは、綱取りを毎場所続けるようなものなのだ。白鵬が場所前、豪栄道について、強い相撲を取り続けることができれば横綱にはなれるかもしれないが、横綱を続けることはなってみないとわからない、みたいなことを言っていて、その奥深さに戦慄した。横綱は絶対的な孤独を生き続けなければならない存在なのだ。私はそのことを、貴乃花以上に、白鵬から学んだ。
 その横綱の資格を見せ始めたのが、鶴竜だ。遠藤、玉鷲と、今場所の台風の目を続けて退けた。それも、横綱らしい勝ち方で。無傷の勝ち越しで単独トップ。優勝争いに絡むだけでなく、優勝争いを引っ張るのが、横綱の役割だ。鶴竜がこんなに横綱らしい横綱だったって、ずっと知っていたよ。自信さえ揺るぎなくなれば、こうなるって、わかっていたよ。

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