2011〜14年の仕事(2014年4月25日更新) ― 2014-04-15
■長篇小説『夜は終わらない』5月刊行予定
■連載サッカーコラム「世界で起こることはすべて、サッカーでも起こる」(会員制国際情報サイト『Foresight』)
■ガルシア=マルケス追悼エッセイ「死んでなお、語り続ける」(東京新聞2014年4月24日夕刊)
■ガルシア=マルケス追悼エッセイ「ビターアーモンドの香り」(毎日新聞2014年4月21日夕刊)
■エッセイ「『黒子のバスケ』事件に思う」(北海道新聞2014年4月11日朝刊)
■文芸季評2014冬(読売新聞2014年2月8日)
■短篇小説「ピンク」(GRANTA with 早稲田文学 01)(GRANTA 127 Spring 2014)
■短篇小説「クエルボ」(群像2014年2月号)
■掌篇小説「読むなよ」(すばる2014年1月号)
■短篇小説「地球になりたかった男」(文藝2013年冬号)
■エッセイ「『宗教国家』日本」(朝日新聞2013年12月25日朝刊)
■エッセイ「民主制度が壊れる」(北海道新聞2013年12月20日朝刊)
■エッセイ「江中先生」(早稲田学報2013年12月号)
■エッセイ「耳のメガネ」(新潮2014年1月号)
■対談・いとうせいこう氏「想像力で世界に立ち向かう」(群像2014年1月号)
■選評 第35回野間文芸新人賞(群像2014年1月号)
■選評 第50回文藝賞(文藝2013年冬号)
■選評 第45回新潮新人賞(新潮2013年11月号)
■エッセイ「黙って座ったまま」(北海道新聞2013年8月16日朝刊)
■談話「私の恥ずかし話」(中日新聞2013年8月9日朝刊)
■エッセイ「映画化初体験」(文藝春秋2013年6月号)
■エッセイ「バッシングとしての憲法改変」(北海道新聞2013年5月17日朝刊)
■エッセイ「越境者の後ろ姿」(『れにくさ』第4号・野谷文昭教授記念号 2013年3月)
■エッセイ「七人の移民」(岡村淳『忘れられない日本人移民』(港の人刊)解説)
■第3回路上文学賞 総評
■エッセイ「なぜ右傾化のするのか」(北海道新聞2013年1月18日朝刊)
■対談・いとうせいこう氏「想像すれば絶対に聴こえる」(文藝2013年春号特集いとうせいこう)
■対談・岡本和樹氏「それぞれのドキュメンタリー、それぞれのフィクション」(『隣ざかいの街-川口と出逢う-』上映会用パンフレット、2012年4月16日)
■選評 第34回野間文芸新人賞(群像2013年1月号)
■エッセイ「死者たちの迷宮メキシコに呑まれて」(文學界2013年1月号)
■エッセイ「「戦争」と文学」(新潮2013年1月号)
■エッセイ「浮つき、過熱する政治家の言葉 =熱狂であおる社会の危うさ」(時事通信配信12月)
■エッセイ わたしの一日 11月2日の出来事「死者の日」(en-taxi vol.37 2013年冬号)
■選評 第49回文藝賞(文藝2012年冬号)
■エッセイ「ウリ感覚」(すばる2012年11月号)
■選評 第44回新潮新人賞(新潮2012年11月号)
■書評 ホルヘ・フランコ『パライソ・トラベル』(共同通信配信10月)
■エッセイ「言葉が引き寄せる戦争」(北海道新聞2012年10月19日朝刊)
■エッセイ「スパイが二重スパイになるまでの物語」(THE BIG ISSUE KOREA No.45 10月1日号)
■エッセイ「「死にたがる社会」のバッシング」(北海道新聞2012年7月6日朝刊)
■サンケイスポーツ 連載サッカーコラム「考える脚」毎週水曜日掲載(2011年10月19日〜2012年7月4日)
■カルロス・フエンテス 追悼エッセイ(読売新聞2012年5月22日)
■エッセイ「憎悪と復讐の政治学」(北海道新聞2012年3月30日朝刊)
■エッセイ「震災を語る言葉を待つ」(岩波書店刊『3.11を心に刻んで』2012.3)
■エッセイ 週刊図書館「二人のウェルズ」(週刊朝日20 12年2月3日)
■エッセイ「『指導者』を求める空気」(北海道新聞2012年1月13日朝刊)
■エッセイ「change of role」(すばる2012年1月号)
■選評 第33回野間文芸新人賞(群像2012年1月号)
■対談・山田詠美氏「作家になるための小説心得」(文藝2012年春号)
■対談・中島岳志氏「可能性の文学」(中島岳志対談集『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』金曜日刊2011.12)
■エッセイ「居場所を奪い合う社会〜オウム裁判終結」(共同通信配信11月)
■選評 第2回路上文学賞(ビッグイシュー179号)
■短篇小説「人間バンク」(『人はお金をつかわずにはいられない』日本経済新聞出版社刊2011.10)
■エッセイ「社会における表現」(北海道新聞2011年10月14日朝刊)
■選評 第35回すばる文学賞(すばる2011年11月号)
■選評 第43回新潮新人賞(新潮2011年11月号)
■講演録「ボルヘスの可能性と不可能性」(野谷文昭編『日本の作家が語る ボルヘスとわたし』岩波書店刊2011.9)
■インタビュー 新幸福論(毎日新聞 2011年9月21日夕刊)
■著者インタビュー 『俺俺』(一個人2011年10月号)
■掌編小説「お早う」(Words&Bonds Vol.18)
■パブロ・シーグレル・コンサート評「人間は人間を超える。」(ラティーナ2011年8月号)
■解説「和解のために、降りる」 朴裕河『和解のために』(平凡社ライブラリー)
■エッセイ「江田というユートピア」(神奈川近代文学館機関誌113号)
■エッセイ「無関心という隠蔽」(北海道新聞2011年7月9日夕刊)
■映画評『BIUTIFUL ビューティフル』(クロワッサン2011年7/10号)
■対談・岡田利規氏「現実を変容させるフィクション」(新潮2011年7月号)
■大江賞記念対談「危機に際して、異質な個人が声を合わせる」(群像2011年7月号)
■エッセイ「3.11を心に刻んで」(岩波書店web)
■大江賞受賞インタビュー(東京新聞2011年5月11日夕刊)
■大江賞受賞インタビュー(朝日新聞2011年5月10日夕刊)
■エッセイ「言葉を書く仕事なのに、何と言っていいのかわからない」—震災日記(SWITCH2011年5月号)
■エッセイ「東電事故 原発列島化 責任直視を」(北海道新聞2011年4月2日夕刊)
■エッセイ「夜景の中の毛細血管」(かまくら春秋2011年4月号)
■短篇小説「人間バンク」(日経新聞電子版2月連載)
■エッセイ「八百長は他人ごとか?」(東京新聞2011年2月22日夕刊)
■エッセイ「大規模デモ 無縁の日本」(北海道新聞2011年2月19日夕刊)
■エッセイ「安宇植さんの熱意と日中韓の文学交流」(すばる2011年3月号)
■書評 宮内勝典『魔王の愛』(新潮2011年1月号)
■短篇小説「何が俺をそうさせたか」(文學界2011年1月号)
■連載サッカーコラム「世界で起こることはすべて、サッカーでも起こる」(会員制国際情報サイト『Foresight』)
■ガルシア=マルケス追悼エッセイ「死んでなお、語り続ける」(東京新聞2014年4月24日夕刊)
■ガルシア=マルケス追悼エッセイ「ビターアーモンドの香り」(毎日新聞2014年4月21日夕刊)
■エッセイ「『黒子のバスケ』事件に思う」(北海道新聞2014年4月11日朝刊)
■文芸季評2014冬(読売新聞2014年2月8日)
■短篇小説「ピンク」(GRANTA with 早稲田文学 01)(GRANTA 127 Spring 2014)
■短篇小説「クエルボ」(群像2014年2月号)
■掌篇小説「読むなよ」(すばる2014年1月号)
■短篇小説「地球になりたかった男」(文藝2013年冬号)
■エッセイ「『宗教国家』日本」(朝日新聞2013年12月25日朝刊)
■エッセイ「民主制度が壊れる」(北海道新聞2013年12月20日朝刊)
■エッセイ「江中先生」(早稲田学報2013年12月号)
■エッセイ「耳のメガネ」(新潮2014年1月号)
■対談・いとうせいこう氏「想像力で世界に立ち向かう」(群像2014年1月号)
■選評 第35回野間文芸新人賞(群像2014年1月号)
■選評 第50回文藝賞(文藝2013年冬号)
■選評 第45回新潮新人賞(新潮2013年11月号)
■エッセイ「黙って座ったまま」(北海道新聞2013年8月16日朝刊)
■談話「私の恥ずかし話」(中日新聞2013年8月9日朝刊)
■エッセイ「映画化初体験」(文藝春秋2013年6月号)
■エッセイ「バッシングとしての憲法改変」(北海道新聞2013年5月17日朝刊)
■エッセイ「越境者の後ろ姿」(『れにくさ』第4号・野谷文昭教授記念号 2013年3月)
■エッセイ「七人の移民」(岡村淳『忘れられない日本人移民』(港の人刊)解説)
■第3回路上文学賞 総評
■エッセイ「なぜ右傾化のするのか」(北海道新聞2013年1月18日朝刊)
■対談・いとうせいこう氏「想像すれば絶対に聴こえる」(文藝2013年春号特集いとうせいこう)
■対談・岡本和樹氏「それぞれのドキュメンタリー、それぞれのフィクション」(『隣ざかいの街-川口と出逢う-』上映会用パンフレット、2012年4月16日)
■選評 第34回野間文芸新人賞(群像2013年1月号)
■エッセイ「死者たちの迷宮メキシコに呑まれて」(文學界2013年1月号)
■エッセイ「「戦争」と文学」(新潮2013年1月号)
■エッセイ「浮つき、過熱する政治家の言葉 =熱狂であおる社会の危うさ」(時事通信配信12月)
■エッセイ わたしの一日 11月2日の出来事「死者の日」(en-taxi vol.37 2013年冬号)
■選評 第49回文藝賞(文藝2012年冬号)
■エッセイ「ウリ感覚」(すばる2012年11月号)
■選評 第44回新潮新人賞(新潮2012年11月号)
■書評 ホルヘ・フランコ『パライソ・トラベル』(共同通信配信10月)
■エッセイ「言葉が引き寄せる戦争」(北海道新聞2012年10月19日朝刊)
■エッセイ「スパイが二重スパイになるまでの物語」(THE BIG ISSUE KOREA No.45 10月1日号)
■エッセイ「「死にたがる社会」のバッシング」(北海道新聞2012年7月6日朝刊)
■サンケイスポーツ 連載サッカーコラム「考える脚」毎週水曜日掲載(2011年10月19日〜2012年7月4日)
■カルロス・フエンテス 追悼エッセイ(読売新聞2012年5月22日)
■エッセイ「憎悪と復讐の政治学」(北海道新聞2012年3月30日朝刊)
■エッセイ「震災を語る言葉を待つ」(岩波書店刊『3.11を心に刻んで』2012.3)
■エッセイ 週刊図書館「二人のウェルズ」(週刊朝日20 12年2月3日)
■エッセイ「『指導者』を求める空気」(北海道新聞2012年1月13日朝刊)
■エッセイ「change of role」(すばる2012年1月号)
■選評 第33回野間文芸新人賞(群像2012年1月号)
■対談・山田詠美氏「作家になるための小説心得」(文藝2012年春号)
■対談・中島岳志氏「可能性の文学」(中島岳志対談集『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』金曜日刊2011.12)
■エッセイ「居場所を奪い合う社会〜オウム裁判終結」(共同通信配信11月)
■選評 第2回路上文学賞(ビッグイシュー179号)
■短篇小説「人間バンク」(『人はお金をつかわずにはいられない』日本経済新聞出版社刊2011.10)
■エッセイ「社会における表現」(北海道新聞2011年10月14日朝刊)
■選評 第35回すばる文学賞(すばる2011年11月号)
■選評 第43回新潮新人賞(新潮2011年11月号)
■講演録「ボルヘスの可能性と不可能性」(野谷文昭編『日本の作家が語る ボルヘスとわたし』岩波書店刊2011.9)
■インタビュー 新幸福論(毎日新聞 2011年9月21日夕刊)
■著者インタビュー 『俺俺』(一個人2011年10月号)
■掌編小説「お早う」(Words&Bonds Vol.18)
■パブロ・シーグレル・コンサート評「人間は人間を超える。」(ラティーナ2011年8月号)
■解説「和解のために、降りる」 朴裕河『和解のために』(平凡社ライブラリー)
■エッセイ「江田というユートピア」(神奈川近代文学館機関誌113号)
■エッセイ「無関心という隠蔽」(北海道新聞2011年7月9日夕刊)
■映画評『BIUTIFUL ビューティフル』(クロワッサン2011年7/10号)
■対談・岡田利規氏「現実を変容させるフィクション」(新潮2011年7月号)
■大江賞記念対談「危機に際して、異質な個人が声を合わせる」(群像2011年7月号)
■エッセイ「3.11を心に刻んで」(岩波書店web)
■大江賞受賞インタビュー(東京新聞2011年5月11日夕刊)
■大江賞受賞インタビュー(朝日新聞2011年5月10日夕刊)
■エッセイ「言葉を書く仕事なのに、何と言っていいのかわからない」—震災日記(SWITCH2011年5月号)
■エッセイ「東電事故 原発列島化 責任直視を」(北海道新聞2011年4月2日夕刊)
■エッセイ「夜景の中の毛細血管」(かまくら春秋2011年4月号)
■短篇小説「人間バンク」(日経新聞電子版2月連載)
■エッセイ「八百長は他人ごとか?」(東京新聞2011年2月22日夕刊)
■エッセイ「大規模デモ 無縁の日本」(北海道新聞2011年2月19日夕刊)
■エッセイ「安宇植さんの熱意と日中韓の文学交流」(すばる2011年3月号)
■書評 宮内勝典『魔王の愛』(新潮2011年1月号)
■短篇小説「何が俺をそうさせたか」(文學界2011年1月号)
2014年4月21日(月) ― 2014-04-21
岡村淳さんの作品を一年ぶりに見に行く。毎春恒例の「優れたドキュメンタリー映画を観る会」。作品は『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』。
1999年に撮影された素材を、昨年になってまとめられたもの。岡村さんご自身は地味で欠点だらけの作品とおっしゃるが、私の心はすっかり持っていかれてしまった。
作品内容の紹介を、岡村さんのサイトから。
「1960年代、日本はエネルギー政策を大きく変換して、国内各地の炭鉱を閉山して、さらに失業した炭鉱労働者を南米に農業移民として送り出しにかかった。
実際に海を渡ったのは数千家族といわれているが、実数は定かではない。
自ら炭坑夫として地底に潜った日本の記録文学の大家・上野英信は1974年、かつての同僚たちを追って広く南米4か国を200日にわたって訪ねて回り、『出ニッポン記』という大作を遺している。
上野の最初の南米の旅から25年、逝去から12年。上野を師と仰ぎ、筑豊の閉山炭住地域で伝道所を開く犬養光博牧師は、上野の足跡と炭鉱離職者の今を訪ねてブラジルを訪問した。上野に私淑して『出ニッポン記』を座右の書とする岡村は犬養牧師の旅の案内と記録を引き受けるが、サンパウロ空港での出会いから間もなくふたりはニセ警官の強盗グループに襲撃されてしまう。
からくも難を逃れた犬養牧師は、ブラジルで上野と親交のあったサンパウロ人文科学所のメンバーらを訪ね、意外な上野像を交換し合う。さらにサンパウロの日本人社会を対象に上野英信についての講演会を行なうが、聴衆からは予想外の反発を浴びることになってしまった。
そしてリオデジャネイロとアマゾンへの調査の旅を前に、サンパウロで北海道からの炭鉱離職者に出会うこととなるが……」
上野英信のことは、岡村さんを通じて初めて知り、その後、私のまわりで何人も上野英信への崇敬の念を表明する作家・研究者に会い、非常に気になっていながら、入ってしまったら迷宮になりそうな気もして、私はまだ読んだことがない。その上野英信モノを岡村さんが作られると知って、絶対に見ておかねばと思ったのだ。
それほど崇拝の言葉しか聞かなかった上野英信について、信者ともいえる犬養牧師は、強烈な相対化をしながら、相対化してもしきれない上野英信の神髄に迫っていく。上野英信が炭鉱に入っていった動機には、若いときの広島での被爆体験があるのではないかというのだ。被爆体験が、自分を卑下する感情となり、エリートの道を歩むに値しないと考えさせ、炭鉱労働者への道を選ばせたのではないか、と。その英信の心根について、犬養牧師は強烈な一語を発する。
作品を見ていただかないとその強烈さはわからないと思うのでここには書かないが、私は本当に衝撃を受けた。これは犬養牧師以外、誰にも口にできない言葉であろう。
これは今の社会を変えうる、決定的なものすごい言葉だと私は思った。極端な言い方をすれば、ある人間がヘイトスピーチにかける怨念のような情熱を、炭鉱労働者に混じって記録を書く情熱へと変えてしまうことは可能なのだ、と言われたような気がした。その言葉こそ、今の社会を機能不全に陥らせている、表面的な二分法の考え方、敵か味方かとレッテルを貼る思考を、突破する力を持っている。今の社会にあるネガティブで虚無的なエネルギーは、すべてポジティブで創造的な力に変わりうるのだ。それらはじつは同じエネルギーなのだ。それを上野英信という偉人に見てしまう犬養牧師に、私は仰天した。上野英信を読んだこともない私が、その偉大さを感じた瞬間だった。
岡村作品のすごいところは、そこで終わらないところだ。そんな犬養牧師をも、映画は相対化してしまう。
犬養牧師のおつれあいがお話をする場面もあるのだが、これがまたすさまじい。犬養牧師がひと言も反論できない、徹底的な批判をニコニコと元気よく展開するのである。この方の魅力は輝かしいばかりで、かつ岡村作品にとてもよく登場するタイプの女性である。私はここでも圧倒されてしまった。岡村作品は、このような根本からの批評者、一番メタレベルに立たされている者の存在を、決して見逃さない。だから汲めど尽きせぬ創造性があるのだ。
映画は、元炭鉱労働者のブラジル移民に実際に犬養牧師が会っていくところで終わり、やがて作られる予定の続編へと続く。
だが、私の衝撃はまだ終わらなかった。上映後のトークで、岡村さんは上野英信の『出ニッポン記』につけられたかもしれないオリジナルのタイトルを口にする。そこに含まれていた「棄国民(きこくみん)」という言葉に、私は目の前の世界が変わるような思いを抱いたのだった。「棄民」という言葉が併せ持ってしまう被害者意識を、主体性へと変えてしまう強靱な言葉。
岡村作品に通底する感覚は、これだと気づいた。居場所が奪われていく者が、それでも主体性を確保し続ける姿が、執拗に描かれているのだと。そこには、自分は捨てられているのではなく、自分のほうが捨てている側なのだという境地に達することで、怒りをネガティブな怨念から創造性のあるエネルギーに変えるという姿勢が共通している。
この映画のおかげで、これからの暗黒時代を生き抜くために、大切な言葉と思考を私は手に入れた。