2012年6月28日(木)2012-06-28

 今、世界中で似たようなことが起こっている。
 日本では、野田政権の原発再稼働決定に対して、先週、何らかの団体の主催ではなしに、SNSを通じた呼びかけだけで、主催者発表4万5千人が官邸前に集まって、再稼働見直しを訴えた。この自主的な反対の集まりは、じつは昨年から毎週金曜日に細々と続けられていたという。それがここに来て急増した。
 ソウルにいる私は参加したわけではないので、その人数の実感はわからないが、このような数を感じるために比較するのが、サッカーの大きな大会である。例えば、クラブワールドカップ決勝などが行われると、5〜6万人の人が一挙に一つないし二つの駅に集まる。スタジアムに行くときと帰るとき、駅のホームは人であふれかえり、身動きが取れなくなる。あの感覚は、人数を感じるための一つの判断材料になろう。昨年の6万人デモのときは、駅のホームを降りてから改札に出るまでに、サッカーの大きな大会よりも時間がかかった。それで私は、5-6万人は来ているなと感じた。どこであれ、公式発表以上に、肌で感じることが重要である。
 ソウルでは、先日、学生たちが署名を求めているのに遭遇した。韓国3大テレビ局ネットワークのMBCで、現場の制作者やキャスターたちがストライキをしており、それへの指示を求めるものだという。12月に大統領選を控え、李明博現大統領は報道に手を入れ始め、MBCの首脳の人事に介入、首をすげ替えたのだという。これに猛抗議した現場がストを打ち、MBCの番組は再放送ばかりだったり、看板キャスターがいなかったりするのだそうだ。また、私の住んでいるところの近くには農協の本部があり、ここでは自由貿易協定への反対を訴える農民らの集会が連日開かれている。反対派がテントを作って住み込んでもいる。
 同じく大統領選を7月1日に控えるメキシコでは、もっと大規模だ。現大統領は麻薬組織対策で失敗し、任期の6年で5万人が殺害されるという結果を残した。そのため、長年の腐敗与党だったPRIから12年前に初めて政権を奪還した現与党のPANはすっかり支持を失っている。この期に巻き返しを図っているのがPRIなのだが、これが野党時代に体質を変えたかというとまったく変わっておらず、以前の金権体質、闇社会とのつながりを使った反対派排除、といった手法で、一大キャンペーンを張っている。候補は、若きイケメンのメキシコ州知事、エンリケ・ペーニャ・ニエット(通称EPN)。しかし、州知事時代に、かつてPRIが学生運動を軍の力で弾圧した事件を想起させるようなやり方で、通りを占拠した花売りを排除するのに警察が武力で弾圧するという事件を起こし、死者を出したほか、大量に逮捕した者たちに非合法な拷問を行うなど、後ろ暗い人権弾圧を行っている。このため、若者を中心に、強い反感を持たれている。
 今年の5月にペーニャ・ニエットがイベロアメリカ大学で選挙キャンペーンを行った際、学生たちが激しく非難、「出てけ」コールに恐怖を感じたペーニャ・ニエットはトイレに隠れ、こっそりと逃げ出すという出来事があった。プライドが傷つけられた陣営は、この騒動を主導したのは極左のニセ学生131人であると発表、それをメキシコ二大テレビネットワークの一つ、テレビサが報道した。これに激怒した学生たちは、学生証を持って本物の学生であることを証明した動画をYouTubeにアップ。これが、若者たちを中心に爆発的な支持を集め、「私は132番目(Yo soy 132)」と名乗ってYouTubeやSNSに支持を表明する者が続出。政権を取っていた間は常に行ってきたあからさまな不正選挙を今回も行うであろうPRIへの批判、それと結びついたテレビサや大手メディアへの批判を軸として、アンチEPN活動を展開し始めた。
 彼らが支持するのは、前回の選挙で1%未満の僅差で現大統領に敗北した、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール元メキシコ市長(通称AMLO)。昨日、メキシコ・シティで行われたキャンペーンでは、なんと10万人が集まったという! 写真で見ても、あながちこの数字は誇張ではない様子。
 それでも、おそらくはEPNが当選という結果になると、メキシコの者たちは過去に繰り返された不正の経験から、知っている。
 さらに、モントリオールでのデモは知っているだろうか? 名門のマギル大学を舞台に、昨年、強硬な学費値上げに反対する学生たちの抗議からそれは始まった。ところが、これを大学側はモントリオール市ともに強制排除をしようとし、学生の怒りを拡大させる。デモが広がり、収まる様子を見せないと、モントリオール市はデモの届け出制を議会で決める。このやり方に、今度は市民が激怒。学生と市民が一体となって、連日のように大規模なデモが繰り広げられている。警官をハグして回る アナルコパンダ なる者も現れたり、ヌードでデモを展開したり(朝日新聞はこれに惹かれてようやくデモを報道した)、じつに多面的な活動を広げている。
 いずれにも共通するのは、あからさまな強権指向である。これまでは民主的な手続きや体面をとりあえずは取る必要があったために控えられていたようなやり方が、世界の各地で、いわゆる「先進諸国」であろうがなかろうが、なりふり構わず一方的に、暴力的にまかり通り始めている。
 リーマンショック後、そのような強権指向にストップがかかり、アメリカと日本では民主党政権が誕生した。だが、この失敗は、政治への諦めと無関心、それにともなう苛立ちや不満を、爆発的に増大させた。その結果が、このような強権的な暴力への、より大規模な回帰をもたらした。
 デモという抗議の表明行為は、残された数少ない手段の一つだ。だが、それは、社会を敵か味方に分断し、二項対立の感性を標準にしてしまいかねない、という大きな負の側面もともなう。私は非常に複雑な気分である。それでも、金曜の集まりを支持している。モントリオールのように、 粘り強く関心を持ち、続けることが重要だから。