2012年5月5日(土) ― 2012-05-05
韓国は火と鉄の国だと、今日も思う。
おなじみ、農楽のパフォーマンスを、高校生ぐらいの若者が広場で披露しているのを見ながら、ケンガリ、チンの音に聞き惚れる。チョッカーラ、スッカーラ、鉄器、鉄の文化の音。特にチンの音には魔力がある。
韓国では仏様の誕生日のお祝いが、今月、盛大に行われるのだそうだ。このため、街じゅうに色とりどりのぼんぼりがぶら下がっている。先日、古刹を訪ねたときも、そのぼんぼりの美しさに圧倒された。ぼんぼりには、子どもの仏陀が右手の人差し指を天に向けているキャラクターっぽい姿が描かれている。再来週の夜にはこのぼんぼりが灯され、ソウルの大通りを、ねぶた祭りみたいにお釈迦様や象やその他の巨大な張り子の灯籠が盛大な行列を繰り広げ、農楽の者たちが踊り歩き、僧侶や子どもたちが提灯を掲げて行進をするという。楽しみである。
ともかく提灯が多い。キャンドルデモもそうだが、韓国の人たちは火をスピリチュアルに使うことに長けている。火で魂を表す術に通じている。
その中心となる曹溪寺(チョゲサ)に、今日の昼ごろ行ってみたところ、法要というのか、が行われていた。寺の中を埋め尽くさんばかりに集まった年齢の高い女性たち(男はほとんどいない)が、僧侶の読むのに合わせて経を唱える。やがて僧侶たちは麦わら帽をかぶって外に出てきて、スピーカーで流れる「南無阿弥陀仏」の読経とともに、ゆっくりと境内を歩き始める。その後をついて、アジュモニたちが長い行列を作る。蛇のような行列は、色とりどりの提灯がびっしりと空を埋めている境内でところどころとぐろを巻き、またほぐれて蛇行し、と、複雑な軌跡を描いてひたすら境内を練り歩く。そして最後には待ち受けた僧侶から、茶色い玉を一つ(数珠?)受け取って、行進を終える。
興味深かったのは、そのお経の読み方である。もちろん、日本の読み方とは違う。なんと説明してよいのか、これがやはり韓国風の節回しがついた、日本よりも歌うような読み方なのである。その国の音楽性は、教典を読むときの節回しに表れる。昨年、トルコを旅したときは、コーランの朗唱にそれを感じた。祈りの時間になると、様々な素人がジャーミーに集って順に読み始め、読む者の個性がさらにそこにアレンジされるのが面白い。
読経のリズムを刻むのも、木魚だけでなく、ケンガリのような金属のものを鳴らす。ここでも鉄の音。信者の祈り方でも、五体投地をしている人たちが結構多いのには驚いた。
とにかく圧倒されてしまった。
ちなみに、今日は韓国でもこどもの日。